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志村けん“最後のテレビ出演”で、なぜ元恋人に「今は幸せですか?」と聞いてみたかったのか

4/5(日) 6:00配信

文春オンライン

 孫悟空といえば、『西遊記』『西遊記II』の堺正章でもなく、『ドラゴンボール』でもなく、『飛べ!孫悟空』の“そんごくう”だった。

【画像】4月5日に終了する志村けんさんへの献花台

 ジャンケンをする時は、必ず“最初はグー”と掛け声を掛け合った。

 カラスの鳴き声が聞こえれば、すかさず“♪カ~ラス~なぜ鳴くの~カラスの勝手でしょ~♪”と歌った。

 クラスのお楽しみ会では模造紙で作ったヒゲを鼻の下に貼り付けて“ヒゲダンス”を踊った。

 母親がスイカを切ってテーブルに並べれば、“早食い”にチャレンジした。

息子の歯磨きで「もっと“アイーン”して」

『オレたちひょうきん族』や『夕やけニャンニャン』に傾いたこともあったが、どこかで『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』がしっくりくるなと思っていた。

 そして“変なおじさん”というアレなキャラクターをお茶の間のアイドルにしてしまったことに「やっぱ、志村ってスゲエな!」と感嘆すると共に、他の番組に浮気したり、一時とはいえ彼の存在を軽んじてしまったことを恥じた。

 2018年に息子が生まれてからは、“だっふんだぁ”に“だいじょうぶだぁ”と叫んで笑わせ、“♪ニンニキニキニキニシンが悟空♪”と『飛べ!孫悟空』の挿入歌「ゴーウェスト」を歌って聴かせてなだめ、歯磨きをする際は「もっと“アイーン”して」と磨きやすいように顎を突き出させている。そんな具合にいろいろと思い返し、考えてみると、昔も今もずっと“志村”がいる。

 テレビで彼を見ることがなくとも、志村はどこかに存在するのである。だからこそ、たまらなく悲しい。だからこそ、いつまでもジワ~ッと涙が出てきて止まらない。あれから数日が経ったが、悲しみは増していく一方だ。俺と同じ40代後半ならば、誰もが志村という名の魂みたいなものを抱えているはず。体が引きちぎられたような、自分のどこかが死んでしまった感覚に陥るのも当然といえば当然なのだ。

東村山在住者にとっての志村けん

 そんな“志村魂”の火が47歳になってもしぼむことがなかったのは、俺が東村山在住者であることも大きい。

 住んでいるのは「東村山音頭」の歌詞に出てくる東村山一丁目ではないし(東村山一丁目は実在しない)、“♪庭先ゃ多摩湖♪”といえるほどの場所でもないが、中野区から東村山市に移って今年で31年になる。両親から東村山に引っ越すからと告げられた時は、最果ての地への流刑を言い渡された気がした。

 中野といっても練馬寄りで畑ばかりの地だったが、それでも東村山のほうが田舎に思えたし、23区民だというわけのわからないプライドがあったし、すでに16歳だったとはいえ生まれ育った町を離れることに対する不安もあった。そんな想いを“だいじょうぶだぁ”と和らげてくれたのは、やはり志村だった。

 東村山への移住を告げられた日の夜、まだ16歳だというのになんだって中野区民から東村山市民にならなければいけないのかと涙で枕を濡らしていると「ハッ、待てよ。東村山って東村山音頭の東村山じゃねぇか!」と気付き、「なら、移ってもいいか」と思えるように。

 引っ越してから町を散策して志村の表札が掛かった家を見つけるたびに(東村山は志村姓が多い)、本当に志村が生まれた町なんだと軽い興奮を覚えた。それから、東村山駅東口のロータリーに植樹されたけやきの木「志村けんの木」があること、志村の兄貴が市役所に勤めていることを知って(当時)、さらに志村と俺の距離がグッと近づいた気がした。

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最終更新:4/5(日) 11:06
文春オンライン

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