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石川祐希:オリンピックはゴールではない、目指すは「世界のトップ選手」-東京五輪アスリートの肖像(4)

4/6(月) 16:40配信

nippon.com

天野 久樹

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、東京五輪の開催が1年延期されることになった。混乱の終息が見えず、国内外の多くの選手が不安を抱える中、ポジティブに前を見据えるのが、イタリア・セリエAのパドヴァでプレーする日本男子バレーボールのエース、石川祐希だ。「世界のトップ選手」を目指して、大学卒業後もプロ選手として世界最高峰リーグに挑戦し続ける24歳が描く人生とは――。

観客と選手が一体に

2月9日、日曜夜。北イタリア・パドヴァ市郊外にあるバレーボール専用アリーナ「Kioene Arena」は熱気に包まれていた。3500人の観客の地鳴りのような声援が館内にこだまする。強豪トレンティーノをホームに迎えての一戦。第1セットを先取したパドヴァは、第2、第3セットと連取されたものの、アウトサイドスパイカー・石川の活躍で第4セットを奪ってファイナルセットに持ち込む。最後は地力で勝る相手に競り負けたものの、手に汗握る熱戦にサポーターたちも満足顔だった。

試合終了の整列が解けると、ファンがコートになだれ込んできた。お目当ての選手に駆け寄り、サインを求める。石川の姿も中学生や高校生、家族連れの中に埋もれた。笑顔でツーショットに応じる光景を見て、彼がパドヴァ市民に愛されていることが分かった。

偶然開けたセリエAの扉

セリエAでプレーするのは今季で5シーズン目。だが、イタリアにやって来るまで、プロ選手として海外でプレーすることなど全く考えたことがなかったという。愛知・星城高校時代、2年連続3冠(インターハイ・国体・春高)を獲得。将来の日本代表のエースと目され、大学バレーの名門・中央大学に入学。「当時の目標は全日本に入って、大学を卒業したら実業団(Vリーグ)でプレーすることだった」

世界最高峰リーグと称されるイタリア・セリエAでプレーするきっかけは、「ほんの偶然」だった。大学1年の冬、モデナに3カ月間“バレー留学”したことが石川の人生を変えた。

フェラーリ本社があるイタリア中部モデナ県のモデナチームが当時、日本人選手の獲得に動いていた。ところが、Vリーグを含めた国内トップレベルの選手からは、誰一人志願者がいなかった。ならば前途有望な大学生を呼ぼう、と中央大の松永理生監督(当時)のもとに話が舞い込む。

石川は入学したばかり。しかも、チームを支える貴重な戦力だ。だが、監督は石川の将来を考え、本人にイタリア行きを打診した。

「セリエAもイタリア語の知識もゼロ。でも、未知の世界である分、興味が湧いた。単純に、行ってみたいと思った」

石川にとってさらに幸運だったのは、モデナがセリエAでも屈指の強豪であり、F1のフェラーリ同様、地元市民から熱烈に愛されていることだった。各国の代表クラスが居並ぶ選手層の厚さに、公式戦でのフル出場は1試合にとどまったが、ピンチサーバーやピンチレシーバーとしてチームに貢献する姿に、サポーターたちは石川の応援歌を作って激励した。

帰国の送別会では、チーム最年長で、遠征先のホテルでは同室でイタリア語を教えてくれたアンドレア・サラーから「ユウキ、強くなって戻って来い!」とハグされた。もちろん石川もそのつもりだった。

「高校時代、アンダーカテゴリーの日本代表として外国人選手と戦う機会が何度かあった。その時はなかなか勝てなくて、海外は強いというイメージを持っていたけど、実際に彼らと暮らすうちに、強さだけじゃなくて弱点もあることがわかった。力不足だと感じる半面、もっと成長すれば通用するという感覚はあった」

大学3・4年時は、インカレのオフシーズンに、イタリア・ラツィオ州の中堅チーム・ラティーナでプレー。大学卒業後の昨季、晴れてプロ選手としてシエナに移籍した。チーム唯一、全26試合に先発出場し、通算111セットをプレーし、得点ランキングリーグ12位の376得点を記録。今季はセリエAの半数以上のチームからオファーを受け、パドヴァを選んだ。

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最終更新:4/6(月) 18:07
nippon.com

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