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【書評】世界で最も難しい言語か:小川誉子美著『蚕と戦争と日本語――欧米の日本理解はこうして始まった』

4/6(月) 17:03配信

nippon.com

泉 宣道

古来、西洋人が日本語を学んできた動機は何か。キリスト教の布教、鎖国時代の日本に開国を迫る外交交渉、シルク産業、そして戦時の暗号解読など情報戦……。本書は16世紀から20世紀半ばまでの史実を豊富な事例を引きながら人間臭く描く。

日本語に挑んだ西洋人の歴史

欧米諸国は国益や外交戦略と日本語を学習、研究することをどう結び付けてきたのか。本書はその歴史を8章にわたって詳述している。

そこでは「日本語に挑戦する人々の冒険ドラマ」が繰り広げられる。半面、「外国人が日本人に日本語を学ぶこと、日本人が外国人に日本語を教えることは命がけ」だった時代も活写されている。

「外国語の学習と言えば、現代は友好的で平和的なイメージをまとうことが多い。ところが、歴史を紐解くと、対立や征服、戦争といった国家間の交渉や紛争と連動して行われた例が多々見られる」

日本側が重視した西洋の外国語はポルトガル語から始まり、オランダ語、英語へと変遷していく。これに対し、西洋側は交易や外交交渉、ひいては戦争で自国に有利になるよう日本語専門家を育ててきた。本書は言語を介した「日本と西洋との交流史」でもある。

大航海時代に宣教師らが来日

日本が欧州と邂逅するのは16世紀半ば、大航海時代である。ポルトガル船、スペイン船が相次いで来航し、南蛮貿易という形で日本と欧州諸国との行き来が始まった。

当時、欧州では宗教改革を経て、ローマ・カトリック教会がイエズス会を創設、海外に宣教師を派遣して布教活動を展開した。日本にはスペイン出身の宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に渡来、鹿児島に上陸したことはよく知られている。

ザビエルが日本行きを決意したのは、東南アジアのマラッカで鹿児島生まれの日本人アンジロウ(ヤジロウとも)と出会ったからだといわれる。アンジロウは若いころに人を殺め、鹿児島に来航したポルトガル船でマラッカに逃れたことから、かなりのポルトガル語を話せるようになっていた。アンジロウはインドのゴアで洗礼を受け、日本人で初めてキリスト教徒になった人物といわれている。

「ザビエルの目的は、キリスト教日本開教のために、支配者から布教の許可を得ること、そして、教義書の日本語訳を作成することであった。そのいずれにも日本語力は不可欠であり、この『日本語のできる人間』の養成こそ、喫緊の課題であった」

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最終更新:4/6(月) 17:03
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