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天覧試合に始まった阪神・村山実の反骨/プロ野球20世紀・不屈の物語【1959年】

4/7(火) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

プロ野球で唯一の天覧試合

 長いプロ野球の歴史において、いわゆる“天覧試合”は1試合しかない。1959年6月25日、後楽園球場で開催された巨人と阪神の一戦だ。元号でいえば、昭和34年のこと。時代は令和となり、思えば、平成時代には天覧試合はなかったわけだ。もし、平成に天覧試合があったら、どんな試合になったのだろう。元号が変わったのも遠い日のことではなく、一方でプロ野球は開幕せず、室内での待機を求められる今日このごろ、“平成の天覧試合”を想像してみるのもいいかもしれない。

 さて、昭和34年。まだ戦争の傷跡は、すさまじい勢いで復興しつつあったとはいえ、少なくとも人々の心には残されていただろう。天覧試合に参加した選手たちも、みな戦争を経験した男たちだ。戦後の昭和、そして平成、いまの令和と生きている戦争を知らない我々には想像できないほど、彼らにとっても天覧試合は特別なものだっただろう。一方、そうした感慨とは別の意味で、プロ野球にとっても特別なものだった。当時、野球の花形は東京六大学リーグ。そのスターだった立大の長嶋茂雄が巨人へ入団したのが前年のことだ。“職業野球”と蔑まれ、まだまだプロ野球の社会的地位も低かった時代。天覧試合はプロ野球にとって長年の悲願であり、“市民権”を得る絶好の機会だった。そして実際、この天覧試合は、その歴史におけるエポックとなる。

 駆け足で試合を振り返ってみる。両チームの先発は、巨人は“悲運のエース”藤田元司、阪神は“投げる精密機械”小山正明。美しいフォームで投げ込む右腕と、圧倒的なコントロールを誇る右腕の投げ合いは特別な試合にふさわしいものだったが、藤田は天覧試合での先発を伝えられてから極度の緊張で疲れが取れなかったという。先制したのは阪神。3回表、投手の小山に適時打が飛び出し、1点をリードする。追う巨人は5回裏、先頭打者で四番の長嶋、続く勝負強き“坂崎大明神”こと坂崎一彦が連続ソロで逆転。阪神も6回表、四番に定着したばかりの藤本勝巳に逆転3ランが飛び出し、2点差と突き放す。

 だが、巨人も7回裏に王貞治が2ランを放って同点に。のちに長嶋と“ON砲”と騒がれる王だが、プロ2年目、まだ長距離砲として覚醒していない。これが、いわゆる“ONアベック本塁打”の第1号だった。試合は同点のまま9回裏を迎えると、先頭の長嶋が劇的なサヨナラ本塁打。巨人のサヨナラ勝ちで幕を閉じた天覧試合は、こうして長嶋に“スターの証明”を与え、また長嶋も水を得た魚のように躍動、プロ野球の中心選手として国民的な人気を獲得していく。

 これが一般的な天覧試合のストーリーだ。一方、敗れた阪神で、もうひとつ新たなドラマが静かに幕を開けた。その主役は、7回裏一死から救援登板、そして長嶋にサヨナラ弾を許した村山実だ。

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最終更新:4/7(火) 18:23
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