オーストラリア東部のハンターバレーはかつて、アルファルファの畑と馬の牧場、ブドウ園が広がる田園地帯だったが、今では露天掘りの炭鉱がそこかしこに見られる。石炭の採掘も昔から一帯に収入をもたらしてはきたが、世界的な需要の拡大と新しい技術の導入が拍車をかけ、ある時期を境に次々と新しい炭鉱が開かれた。
ギャラリー:消えゆく故郷の風景
環境問題を研究する大学教授のグレン・アルブレヒトは、石炭採掘が地域住民の心に及ぼす影響に関心をもっていた。2000年代初め頃から彼のオフィスでは、話を聞いてもらいたいという住民からの電話が鳴るようになった。
大地を揺るがす発破の衝撃や、耳をつんざく採掘機械の音、夜間に現場を照らす不気味な照明、家の外だけでなく中にも入り込み、真っ黒に覆い尽くす煤ーー彼らは空気や飲み水の汚染に不安を募らせながらも、故郷を一変させたこの破壊行為を止められない無力さを感じていた。
炭鉱が拡大するにつれ、アルブレヒトは一部の住民たちが抱く感情のなかに、ある共通点を見つけた。彼らは自分たちが不安に駆られる原因が炭鉱であるとわかっているのに、その気持ちを的確に表す言葉を見つけられずにいたのだ。「彼らのなかで故郷を離れた者は誰一人としていなかったのに、まるでホームシックにかかっているかのようでした」とアルブレヒトは言う。
開発が進むにつれて、この土地がもたらしてくれていた安らぎがどんどん失われていく。アルブレヒトはこうした感情を「solastalgia」と名づけ、「故郷がもたらす安堵感が失われるときの心の痛み」と定義した。ソラスタルジアは、英語のsolace(安堵)とalgia(痛み)を合わせた造語で、solaceにはその語源から「孤独感」という意味も暗に含まれている。
この造語がつくられてから10年以上たった頃、私は干ばつをテーマにした映画を見ていたときに初めて、ソラスタルジアという言葉を耳にした。この言葉に関連した学術論文や会議、報道記事などもたくさん見つけた。アルブレヒトの言葉に着想を得て、米国では彫刻の展覧会が、エストニアではクラシック音楽のコンサートが催され、オーストラリアではポップ・ミュージックのアルバムが制作されていた。
慣れ親しんできた風景が様変わりすることに複雑な感情を抱いている人は、今や一部の地域だけでなく世界中にいる。ソラスタルジアという概念が共有されることは、環境と人間との間に新たな関係が築かれた印なのだ。
英語圏ではソラスタルジアという言葉が一般化しつつあるが、アルブレヒトは一時的な流行で終わることを願っている。「今の厳しい現状がつくり出した言葉であって、本来は存在しないものですから」と彼は言う。「それなのに今や世界中に広まっている。この現状を打破しなければ。ソラスタルジアという言葉を生み出した世界と、その世界を生み出した力に、私たちはあらがっていかなければならないのです」
※ナショナル ジオグラフィック4月号「ソラスタルジア~失われゆく故郷」では、環境の変化によって故郷の風景が失われつつある人々の悲痛な声を紹介します。
文・写真=ピート・ミュラー
最終更新:4/7(火) 7:22
ナショナル ジオグラフィック日本版






























