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すべてはジーコから始まった。 衝撃のJリーグ開幕戦ハットトリック

4/7(火) 6:10配信

webスポルティーバ

1993年~2019年Jリーグ『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた第1回:1993年のジーコ(鹿島アントラーズ/MF)

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 Jリーグ27年の歴史のなかで、「最強」と言えるクラブは、間違いなく鹿島アントラーズだろう。

 国内タイトル(Jリーグ、Jリーグ杯、天皇杯)獲得19回、アジアチャンピオンズリーグ優勝1回。合計20冠という数字は群を抜いている。その土台を作ったのがジーコだった。

 Jリーグが開幕する2年前の1991年。ジーコは当時、日本リーグ2部に所属していた鹿島の前身、住友金属に入団した。その2年前の1989年に一度現役を引退しており、ブラジルでスポーツ担当大臣を務めていた。そんなジーコがなぜ2部でプレーするために日本までやってきたのか。当時、こんなことを言っていた。

「プロ化を目指す日本に何が欠けているのか、何を補ったらいいのか、プロ化のお手伝いをしようと思った」

 さらにこう続けた。

「日本は新しいマーケットとして全世界から注目されている。このまま日本のサッカーが成長し、世界から注目されるリーグになった時、みなさんは気づくはずだ。ジーコが日本に来た理由はこれだったのか、と」

ジーコが最初に手をつけたのは、選手にプロ意識を植え付けることだった。トレーニングでは、ボールを止めて、蹴る、また止める、蹴る。それを繰り返し基本練習の大切さを説いた。

 ロッカールームに選手のシューズが散乱していれば、「こんな汚いところではくつろげない。明日もこんな状態だったら全部捨てる」と言って自分のシューズの手入れを始め、それを見た選手たちがロッカールーム内の片づけを始めたという。寮生活をする選手がコンビニなどでお菓子を買う姿を見れば、「あれはどういうことだ。プロ選手の体づくりにお菓子は必要ない」と、会社に怒鳴り込んだ。

 食事も睡眠も仕事のひとつであり、試合で最高のパフォーマンスを発揮するために必要なことだということを伝えた。

 プロ意識はフロントにも求めた。初めて住友金属の練習場を訪れたジーコは、土のグラウンドを見て、「このピッチは選手がサッカーをやる環境か」と呟いた。フィジカルトレーニングが行なえる施設の必要性や、ケガをしてもすぐに治療ができるメディカル面の整備を説き、練習後に選手が風邪をひかないよう、練習場の近くにシャワールームを作らせた。また、選手が100%サッカーに集中するために、ホペイロを雇うことも要求した。

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最終更新:4/7(火) 6:10
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