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「誰も聞かないなら自分が質問する、それだけ」新聞記者・望月衣塑子さんの、政治に立ち向かう勇気

4/8(水) 19:00配信

ハルメクWEB

日本アカデミー賞三冠映画「新聞記者」原案者

2020年、日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞の三冠に輝いた映画「新聞記者」。原案となった著書を手掛けたのが新聞記者の望月衣塑子(もちづきいそこ)さんです。批判や圧力を受けても政治家に立ち向かう思いに触れます。

小学生のときは演劇の世界に憧れる少女だった

「きちんとした回答をいただけているとは思わないので、繰り返し聞いています」。菅(すが)官房長官の会見で食い下がって質問をする女性。それが東京新聞記者・望月衣塑子(もちづき・いそこ)さんです。

想定通りの質問と回答が多く、「台本通り」とも評される菅官房長官の会見で、望月さんの厳しい質問は注目を集める一方、昨年末には官邸が記者クラブに対し、記者の質問を制限するような異例の申し入れを行いました。

「政権の中枢に切り込む新聞記者」として賛否両論が絶えない望月さんですが、意外なことに最初から記者を志していたわけではなかったそう。

「小学校の卒業文集には、恥ずかし気もなく『私、女優になります!』と書いてあります(笑)。演劇が好きな母が、よく舞台に連れていってくれたんです」。演者も観客も一体になる空想の世界に、美しい歌やダンス。演劇が題材の漫画『ガラスの仮面』のヒットもあり、舞台に魅了された望月さんは女優を志し、高校生まで劇団に所属しました。

母がくれた本が、報道の道へ進むきっかけに

報道の道に関心を持ったのも、母の影響でした。「中学生のとき『南ア・アパルトヘイト共和国』という本をくれたんです。肌の色によって水を飲む場所も決められている世界は、平和な日本で暮らす私の想像を超えていました」。

現実の世界を取材し、困っている人の声を伝えたいと思った望月さんは、大学卒業後、東京・中日新聞に入社。社会部に配属されて事件を追い、警察幹部が住んでいる官舎を調べて通いつめるなど、“夜討ち朝駆け”の毎日が続きました。

出産、育児を期に政治部へ。待っていたのは……

生活が変わる転機となったのが、2人の子どもの出産、育児です。当時は夫が単身赴任。ほぼ一人で子育てを行い、取材もままならなくなりました。そこで、日々の取材にこだわらずに一つのテーマを深掘りするスタイルに変えていった矢先、森友学園問題(※1)、加計学園問題(※2)が報じられます。

望月さんが気になったのが、菅官房長官の会見です。「菅さんが『ご指摘には当たらない』と答えれば、納得できないような内容でも、誰もその先を追及しない。それなら自分が聞こうと、会見に出席することを決めました」

そこで望月さんは、政治取材の問題点に気付きます。「社会部では自分で現場を取材し、相手にしつこく質問をぶつけます。一方、政治部の記者は政治家とパイプを築き、情報をもらって記事にしていく。政治家との関係を損ねると、話が聞けず記事が書けなくなる。だからあまり厳しい質問や追求は正直やりづらい。アメリカでは、記者は政治家から情報をもらいながらも会見は“戦場”です。厳しく質問し、追求します」。

質問を続ける望月さんは、脚光を浴びる半面、誹謗中傷の的にもなりました。

同じ頃、突然の別れもありました。「母が急激にやせ細り、すい臓がんだと判明して1か月で亡くなりました。『介護で子どもに迷惑をかけるのはいやなの』と言っていた母らしい、あっという間の最期でした。父が2010年に61歳で死去しており、その後愛犬も死んで寂しかったんだと思います。でも私が看病に行くと『衣塑子がそばにいてくれるだけで、ほっとするの』と話し、私の方が励まされました」

折しも、時は加計学園問題の最中。母を亡くし、夫の単身赴任が続く中、望月さんは仕事のストレスと子育てで憩室炎(けいしつえん ※3)を患い、倒れます。しかし、おかしいと思うことは聞かなくてはと、その後も会見に臨み続けました。

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最終更新:4/9(木) 5:00
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