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白いスーツにスニーカー、ジョン・レノンが装いに込めた思い

4/8(水) 6:04配信

NIKKEI STYLE

《ダンディズム おくのほそ道》服飾評論家 出石尚三

19世紀の英国からフランスへと広がったダンディズムとは、表面的なおしゃれとは異なる、洗練された身だしなみや教養、生活様式へのこだわりを表します。服飾評論家、出石尚三氏が、著名人の奥深いダンディズムについて考察します。

【写真はこちら】ジョン・レノン、そしてビートルズのファッション

■いち早くはいた「リバプール・ジーンズ」

 新型コロナウイルスの感染が世界に広がるなか、ガル・ガドットら20人以上のスターがジョン・レノンの「Imagine」を歌い継ぐ映像が公開され、話題となりました。

 1940年生まれのジョン・レノンが凶弾に倒れたのが80年。2020年はジョンの生誕80年目と没後40年という節目にあたります。

 ジョン・レノンとは何者だったのか。ロックに芸術を吹きこんだ男。あるいは、ロックをアートに高めた男。そんなふうに表現できるのではないでしょうか。

 ジョンは第2次世界大戦のさなか、ドイツ軍の激しい空襲に見舞われていた英リバプールに生まれました。少年期は絵を描くのに巧みであったと伝えられていますが、それとならんで着るものに凝る癖もあったと言われています。

 たとえば、ジョンははやくから「リバプール・ジーンズ」をはいていました。リバプール・ジーンズとは、米国製のブルー・ジーンズをまねた、英国製の黒いジーンズのことを指します。リバプールは今も昔も外国船が頻繁に出入りする港町。海外の流行がいち早く入ってくる場所でもあったのです。

 絵の次に興味を持ったのが、やはりアメリカ発のロックンロール。エディ・コクランやジーン・ヴィンセントが憧れのスターでありました。

 60年代を代表するロックバンド、ザ・ビートルズは音楽だけでなく、髪形でも服装でも若者に絶大な影響を与えました。とりわけジョン・レノンのファッションを語る時、忘れてならないのが「mods(モッズ)」でしょう。

 モッズは50年代末のロンドンに突然現れた、先端的な若者風俗でした。一般にモッズという言葉は「モダーニスト」の省略形だといわれています。

 50年代末のロンドン。まだ場末だったカーナビー・ストリートに開かれた洋服店「ヒズ・クロウズ」には、襟の大きな花柄のシャツとか、ビロードのズボンといった品々が取りそろえてありました。最先端の割には値段が安く、たちまち大人気となりました。

 50年代の噂の一つに、「カーナビー・ストーリートの洋服店に朝早く行けば、失敗作がゴミ箱に捨ててある」というものがありました。当時、ロックンロールを目指す若きミュージシャンたちは、この失敗作を拾って舞台衣裳にしたとも言われています。

 その頃、ジョン・レノンは何を着ていたのかというと、ブラック・レザー・ジャケットでした。それが私服でもあり、舞台での衣装でもあったのです。

 60年にドイツ・ハンブルクで写された初期のザ・ビートルズの貴重な写真が残っています。着ているのは黒の革ジャンに、黒の細いリバプール・ジーンズとカウボーイ・ブーツでした。

 やがてオリジナル曲を歌うようになってからは、ザ・ビートルズの衣装はポール・マッカートニーがデザインしていたようです。たとえば独特の立襟の上着なども、考えたのはポールでした。

 ポールがスケッチを描いて、地元の個人テーラーである「ダギー」に見せて、仕立ててもらっていました。1着平均で30ポンドだったといいます。シャツは地元のシャツ店で作ってもらっていたようです。ところが61年、ブライアン・エプスタインがマネジャーに就いてからは、メンバーの服装は、彼らからすればいかにも「保守的」に思えるスタイルになっていきました。

 さて、数ある有名なザ・ビートルズのアルバムの中でも、69年に発売された「アビー・ロード」のジャケット写真はとりわけ強い印象を与えます。スタジオ前、アビー・ロードの横断歩道を4人が歩いているだけの写真です。先頭はジョン、ジョージがしんがりで、適度な間隔で歩いています。

 そのジョンの服装が鮮烈です。ホワイト・スーツにスニーカー。この時のジョンのホワイト・スーツを仕立てたのはトミー・ナッターです。彼は当時「(高級紳士服店が連なる)サヴィル・ロウの異端児」とうたわれた人物。彫刻のようなスーツを仕立てることで知られていました。ホワイト・スーツといえば、すぐに白麻の盛夏服を思い浮かべるのですが、トミー・ナッターのホワイト・スーツは、ウール地だったのです。

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最終更新:4/8(水) 6:04
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