岡部 伸
ドイツ降伏後、日本はソ連に米英との和平仲介を求めた。しかし、ソ連は仲介せず、無条件降伏を勧告する「ポツダム宣言」が出された。原爆投下され、ソ連が 対日参戦すると、参謀本部は初めて小野寺信(まこと)ストックホルム駐在陸軍武官の和平工作を認めた。それは終戦翌日の8月16日 だった。ところが戦後公開された文書によると、小野寺の和平仲介打診にスウェーデン国王が何事か行動し、米英は日本が国体護持を条件に初めて「降伏の意思」を示したと解釈し、ポツダム会議に向かうトルーマン米大統領に届けていた。スウェーデン国王からの働きかけで昭和天皇がご聖断を下し、天皇制を維持できたとすれば、工作の意義も小さくなかった。
「ソ連参戦で情勢は一変した。帝国政府は、国体護持を最後の目的として外務交渉を開始した。貴官は任地において最善を尽くせ」。
最後の拠り所にしていたソ連が中立条約を破って侵攻するどんでん返しに遭って参謀本部から、小野寺に8月10日付電報が11日来た。
小野寺はスウェーデン国王グスタフ5世の甥のプリンス・カール・ベルナドッテを初めて招いて、日本は降伏の決心をしたが、天皇制存続だけは、国王から英国王にお願いして頂くよう依頼し、プリンス・カールは「明日国王に伺ってお話する」と快諾した。
小野寺は翌12日、プリンス・カールが国王への工作を快諾したと陸軍大臣あてに電報を打つと、「スウェーデン王室を通して工作せよ」。参謀次長と陸軍次官から初めて工作を認める返電が届いた。しかし、この電報は昭和天皇によるポツダム宣言受諾の玉音放送が流れた8月15日付で、届いたのは翌16日。すべては遅すぎた。
プリンス・カールに背中を押された小野寺の打診工作は徒労に終わったのだろうか―。
戦後、米国立公文書館で公開された秘密文書によると、プリンス・カールとともに小野寺工作を国王に仲介したスタンダード石油スウェーデン総代理店支配人、エリック・エリクソンは、米戦略情報局(OSS)のエージェントで、在ストックホルムのジョンソン米公使に工作内容を逐一報告していた。
ジョンソン公使が国務省に45年5月17日伝えた電報では、エリクソンは小野寺からの王室を通じた和平工作についてプリンス・カールの父親で王弟のプリンス・カール・シニアの個人秘書、ローヴェンヒエルムに伝えたが、ローヴェンヒエルムは、スウェーデン赤十字総裁のプリンス・カール・シニアは、政治問題に介入できないため、国王と国王の甥のフォルケ・ベルナドッテ伯爵に相談される意向である、とエリクソンに答えた。
ローヴェンヒエルムによると、プリンス・カール・シニアは長兄である国王に小野寺からの和平工作の件を伝えた。「この問題は今や『我が国の最高位者』つまり国王によってアレンジされている。彼(国王)は、『この旨を小野寺少将に報告せよ』と要請した。『小野寺はこの連絡をさぞ喜び、報告を受けたことを感謝するだろう』と語った」という。
最終更新:4/8(水) 15:01
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