平成元年=メヴィンテージ・イヤーモと呼ばれるこの年を境に、国産車は新たなステップを踏み出した。以後、国産車は自動車先進国のライバルと世界中で熾烈な闘いを繰り広げ、その地位を不動のものとしてきたのはご存じのとおりだ。第2回目はあのフェラーリをも震撼させたと言われるホンダNSXにフォーカスする。
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昭和59年(1984年)に基礎研究が始まったアンダーフロア・ ミッドシップ・リアドライブ車は、やがてスポ ーツカーの先行開発へと姿を変えていく。そのプロジェクトは昭和60年(1985年)秋に「本格スポーツカー」 の開発へと移行。高度な運動性能と人間性が融合した新時代のスポーツカーの開発がスタートした。昭和61年(1986年)にはオールアルミボディの採用が決定。数々の問題に直面しながらも技術者たちのたゆまぬ努力で実現した。その結果が初めて公開されたのが、平成元年(1989年)2月のシカゴショーだった。車名は「アキュラ NS-X」。
新たに「NSX」として誕生した量産モデルは、平成2年(1990年)9月に国内発売を開始。旧来のスーパースポーツに勝る動力性能を実現しながらメ誰にでも扱いやすいモを実現した最初のスーパーカーだった。当時、リアにトランクを持つことを揶揄する意見もあったが、これは空力処理のためのデザインであり、トランクは副産物に過ぎなかった。 手作りに近い生産体制のため、日産25台がせいぜいで、日米で予約が殺到したため納車まで3年かかると言われた(その後、日産50台に増強)。
「サーキットベスト」のNSXを作ろう──オールアルミ・ボディのポテンシャルを生かし、徹底的に 限界まで攻め込んだクルマがタイプR。快適性を犠牲にしつつも、ニュルブルクリンクサーキットで徹底的に鍛え上げた、ある意味ホンダらしいクルマであり、のちにシビックやインテグラにも展開する「タイプR」というブランドの精神的な礎ともなった。平成7年(1995年)9月までの限定生産。
最終更新:4/8(水) 19:02
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