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緊急事態宣言、東大留学生たちの決断「それでも僕は東京に残る」

4/8(水) 18:39配信

ニューズウィーク日本版

<ニューヨーク市で生まれ育ち、現在は東京大学大学院で学ぶコーヘン氏が語る、東大で学ぶ各国の留学生たちが日本に残ると決意した理由>

ついに安倍政権が緊急事態宣言を発令した。僕はこのときを、ここ東京でやきもきしながら待ち続けていた。こうしたトップダウンによる措置でしか、東京が僕の故郷・ニューヨークで起きているような惨劇に陥ることを避ける方法はないと思っていたからだ。

僕が生まれ育ったニューヨークは、いま封鎖状態にある。医療体制は限界を超えて疲弊し、目抜き通りから人が消え、代わりに遺体安置所には次々と人が運び込まれてくる。病院では遺体袋が足りず、サイレンの音だけが一日中鳴り止まない。

セントラル・パークの芝生の上には「野戦病院」さながらのテント式施設が設営された。この芝生は、僕が小さいころに野球をしたり、友達と寝転んだり、両親と散歩をしてきた場所だ。

ニューヨークは今や戦地のようなありさまで、医療従事者たちは兵士、アンドルー・クオモ州知事は司令官だ。僕はフェイスブックを通じて、ニューヨークの病床にいる知り合い達の映像をいくつも見たが、それらは内臓をえぐるような咳で何度も中断された。

マンハッタンで暮らす家族や友達は、自宅に閉じこもり続けている。2人の祖母は、1カ月以上も玄関の外には一歩も出ていない。

警戒心を持っているのは高齢者層だけではない。ビデオチャットをつなぐと、僕の大学生の弟は見たことのないひげ面で現れる。弟は、家族で住むアパートから20日以上も外出していない。大学を卒業したばかりの友人は、イーストビレッジのアパートから週に一度だけ散歩のために外に出るという。

自分の故郷が悪夢のような危機に転落していくのを横目で見ながら、僕は毎日家にこもり、窓際の小さなテーブルの前に座って、物を書いたりしながら過ごしてきた。

本当にたまに外に出て歩いてみると、カフェは満席で、通りにはたくさんの人が行き来し、地下鉄の駅は相変わらず混雑していたようだった。

最近になってようやく通りや地下鉄から人が少なくなったように見えるが、自宅の扉の外に今も広がっているいつもの「日常」にひどく驚いた。

日本では緊急事態宣言が出された今でさえ、ニューヨークのように不要不急の外出をしたり6フィート(約1.8メートル)の社会的距離を保たなかった人に、罰金を課すなどの厳戒態勢にはなっていない。

<イタリア人留学生は父親が新型肺炎と闘病>

僕は日々の作業場所を、以前から通っていたカフェや公文書館、図書館から、自分の小さなアパートの一室に移した。こうした生活を送っているのは、僕だけではない。

都内に住む留学生の仲間たちも同じような生活に切り替えていて、あるアメリカ人の友人は時おり一人で食料品の買い物に出かけるだけで、別の友人は在宅での仕事を始めたそうだ。

僕たちはまた、日本での日常と母国の日常、その大きな落差から受ける衝撃と畏怖について言葉を交わしてきた。

パンデミックの中心地となっているイタリア北部ベルガモ出身の同級生は、日本で陽性者数が増え続けているにもかかわらず、東京の公園で花見をしている集団を見かけて、ひどく当惑したと話してくれた。

彼の父親は、故郷イタリアの病床で新型肺炎と戦った。もしも日本で検査を十分に行った上で陽性者が少ないのであれば、公園で見たことは不運にも陽気な酒盛りに出くわしてしまった、という彼の個人的なエピソードで終わっただろう。だが今、彼も僕もこうした光景を目にすると、日本の未来にイタリアの今を重ねてしまう。

僕たち留学生のうち何人かは、家族が新型肺炎にかかり、故郷はロックダウン(都市封鎖)状態だ。都内に住む留学生の友人たちの大半は、アメリカにも中国にもイタリアにもドイツにも帰らず、日本に留まり続けている。

中国から留学中のある大学院生は、「帰国すれば、陽性の可能性があるほかの患者と一緒に14日間も隔離される」と言う。僕たちは、母国に帰る飛行機の中や、帰国後に隔離された際に感染リスクが増すことよりも、日本に残って感染の波が引くのを待つことを選択した。

4月2日、在日アメリカ大使館は、日本に滞在する米国市民が帰国を希望する際はただちに行動するよう呼びかけた。「日本政府が大規模な新型コロナ検査を実施しないとしたことで、感染者を正確に把握することが困難になっている」という。

このメッセージは、特に一時的に訪日中の米国市民は利用可能な最も早い便で直ちに帰国するか、そうでなければ「不確定期間にわたり国外に滞在する」可能性に備えよ、と警告した。

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最終更新:4/8(水) 19:40
ニューズウィーク日本版

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