論理もデータもあてにならない時代、論理・戦略に基づくアプローチに限界を感じた人たちのあいだで、「知覚」「感性」「直感」などが見直されつつある。そんななか刊行され、各氏がこぞって大絶賛するのが、『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』という書籍だ。
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現役の美術教師でもある著者が、中高生向けの「美術」の授業をベースに、「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出し、それによって「新たな問い」を生み出すという「アート思考」のプロセスをわかりやすく解説している。700人超の中高生たちを熱狂させ、大人たちもいま最優先で受けたい授業とは――?
● アート鑑賞には「2種類のやりとり」がある
前回の記事では、カンディンスキー作《コンポジションⅦ》を鑑賞しながら、この絵が制作されるに至った背景を見てきました。
※参考記事
■20世紀アーティストに学ぶ「無性に惹かれるアウトプット」を生み出す方法
https://diamond.jp/articles/-/233243
それによれば、彼はかつて見たモネの《積みわら》に触発されて、人の心に直接響き、見る人を惹きつけるような絵を追求します。そこで、ヒントになったのが、彼が幼いころから親しんできた「音楽」でした。カンディンスキーは、音を色に置き換え、リズムを形で表現するという着想を得て、「具象物が描かれていない絵」という表現に至ったのです。
「なるほど、この絵の意味がわかってようやくスッキリしました」
「作者本人がそう語っているのなら、それが『正しい見方』なんですね」
《コンポジションⅦ》の解説を聞いて、そんなふうに思った人がほとんどではないかと思います。
「アート作品の『見方』は、それをつくった『アーティスト本人』が決める」というのは、たしかに真っ当な考え方だと思います。
でも、本当にそれだけなのでしょうか?
今回は「アート作品の『見方』とは?」という問いについて、深く探究していくために、私が考える「アートの2種類の見方=鑑賞方法」をご紹介したいと思います。
①背景とのやりとり
②作品とのやりとり
まずは「背景とのやりとり」です。
ここでいう「背景」とは、「作者の考え」に加え、「作者の人生」「歴史的背景」「評論家による分析」「美術史における意義」など、作品を背後から成り立たせているさまざまな要素のことを総称しています。
「マティスは《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》によって『目に映るとおりに描く』という従来のアートのゴールを覆した」
「ピカソは《アビニヨンの娘たち》によって、『遠近法的なリアルさ』に対して疑問を投げかけた」
ここまでの授業で行われてきたこれらの解説に触れていたとき、みなさんは主に「作品の背景」とやりとりをしていたことになります。
私は以前、すぐに解説文を読んで納得した気になってしまう鑑賞者のあり方をやや否定的に扱いました。しかし、解説文に書かれた内容も、立派な、「作品背景」の1つです。
アート思考を実践するには、解説をまったく読まずに、すべて自力で「自分なりの答え」を生み出さなければならないというわけではありません。
しかし問題は、作品の「背景」についての情報を受け取ると、多くの人は、あたかもそれが唯一の「正しい見方」であるかのように、「なるほど、そういうことか。覚えておこう」と思考をストップさせてしまうことにあります。
最終更新:4/8(水) 16:55
ダイヤモンド・オンライン































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