■「最高峰の物語」を登頂するための最適ツール
学生時代に初めて『源氏物語』を手にした時(与謝野晶子訳)、数ページ読んで挫折しました。それから何度も「読もう」と思い立ち、手にとっては投げだし、購入しては積んだままで放置し、いったん『あさきゆめみし』(大和和紀著、講談社刊)で物語の全容を理解してから、そのうえで円地文子訳(新潮社刊)に出会ってなんとか読み通すことができました。
最近、Twitterで「『源氏物語』を読んでみたいです。誰の現代語訳がお薦めですか」と聞かれることがありますが、そのたびに「誰かの全訳に手を出す前に、マンガやあらすじ本や概要書でざっくり全編の内容を頭に入れてから読みましょう」と伝えています。
こんにちは、いつもTwitterで古典文学や犬のことを呟いている、たられば(@tarareba722)と申します。普段は単行本やWebサイトを作っている、編集者です。
初読者にとって『源氏物語』を読みとおす大変さは、源氏好きのあいだで「須磨がえり」(全五十四帖ある『源氏物語』のうち、第十二帖「須磨」で読むのを挫折する者が多いことを揶揄している)という呼称があるくらい有名な話です。
「『源氏物語』に興味はあるけど、読みとおす自信がなくて手をつけていない」だとか、「何度か手を出したけど挫折した、いつか通読してみたい」という方はとても多いのではないでしょうか。
それはまるで、「富士山登頂」のようなものだと感じています。
そんななか、本書『紫式部ひとり語り』(『私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り』より改題)の著者である山本淳子氏は、平安朝文学の研究者としての学術的信頼性を保ったうえで、「『源氏物語』を読みやすくする本」を書き続けています。
私が初めて山本氏の著作に触れたのは、忘れもしない10年前、吉祥寺のジュンク堂書店で手に取った『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』(朝日新聞出版刊)でした。夢中で読破し、「この本が学生時代にあれば、もっと早く『源氏物語』を通読できたのに……」と痛感しました。
以来、山本氏の著作は新刊が出るたびに発売日に買い求め、本書も、平成23年の単行本発売直後に購入して熟読しました。
わたしの中の「紫式部」成分の大半は、山本先生の記述でできています。文庫化おめでとうございます。「文庫版あとがき」が最高なので、改めて購入したいと思います。
閑話休題。
山本氏の本を読むと、『源氏物語』に何が書かれているのか、そして(古典文学の解釈で大変重要な)「何が書かれていないか」がするすると頭に入ってきます。
「何が書かれていないか、が書かれている」とはどういうことか。
たとえば現代小説で「陽子はラーメンを食べた」という記述があったとき、「陽子とは一般的には日本人女性の名前である」だとか、「ラーメンとは一般的に箸とレンゲで食べる庶民的な麺料理のこと」という説明は省かれます。どんな物語でも、同時代の読者にとって当たり前のことは記述されません。
これと同じように、名作と呼ばれる古典文学作品も、執筆時の想定読者が知っていて当然とされる常識についての記述は省かれています。
しかしもちろん、現代社会に生きるわたしたちと『源氏物語』執筆当時の読者(約千年前の貴族)の常識は、あまりに遠くかけ離れています(これが『源氏物語』の通読を難しくさせる大きな要因のひとつです)。
特に当時の貴族の慣習や人間関係、和歌の果たす役割、敬語のニュアンス、宮廷の重大事件の記録については「あえて書かない(そのほうが「わかる読者」は嬉しいから)」という修辞技術も使われています。
だからこそ、「それ」がわかると、物語の理解が一気にスムーズになりますし、そうした「知っていると作品理解が深まる話」を過不足なく伝えるバランスが、山本氏の著作は絶妙なのです。
つまり、本書は『源氏物語』という「日本文学の最高峰」を(楽しみながら)登りきるのに役立つ、大変優れた登山ツールといえるでしょう。
■「何が書かれていないか」を知るために
本書を読むと、まずこの本が紫式部の一人称で書かれていることに軽い驚きを覚えるかと思います。もちろん山本氏のほかの(『源氏物語』や紫式部にまつわる)著作は、こういう書き方をしていません。
それだけ本書は、実験的であり挑戦的な試みと言えるでしょう。
そして読み進めていくと、次第にこの一人称の手法が、「紫式部についての書き方」にとても合っていることに気づきます。横で紫式部が切々と語ってくれているような気分になるのです。
それもそのはずで、そもそも『源氏物語』の創作環境や紫式部についての作者研究の一次資料である『紫式部日記』と『紫式部集』は、(よく考えると当たり前の話なのですが)一人称で書かれているからです(ちなみに『源氏物語』も、一人称の語りおろしスタイルで綴られる作品です。宮廷の裏事情をよく知る、とある古女房が、光る君と姫君たちの物語を語っている……という文体です。与謝野晶子訳や橋本治訳(『窯変 源氏物語』中央公論新社刊)の『源氏』は、その特徴を色濃く打ち出した記述になっています)。
また、山本氏の著作の特徴は、おおむね「歴史学の手法で文学史を解析する」というアプローチにあります。
『源氏物語』と紫式部について、『紫式部日記』と『紫式部集』を中心としつつ、同時代の資料(『御堂関白記』や『小右記』、『権記』や『日本紀略』、『栄華物語』や『大鏡』)を参照することで、立体的に記述するのです。より多くの文献資料(史料)で著作内の記述をクロスチェックして、当時の執筆環境や人間関係、作者や周辺人物の心境を明らかにしてくれています。
そうした記述を読み進めていると、はるか遠い教科書のなかの存在だと思っていた登場人物たちが、わたしたちと同じ人間だったと改めて感じられるのです。
たとえば作中、主人公である「光る君」は、天皇の皇子として生まれながらも母親の身分が低かったため臣籍降下し「源氏」を名乗ることになります。紫式部の執筆当時の読者は、その時点で「そういえば、同じ境遇の人物がいたな」とピンと来たはずです(嵯峨天皇の息子である源融や醍醐天皇の息子であった源高明。どちらも学問に優れ和歌をよく詠み、豪邸を建て政治の中心で活躍しましたが、その波にもまれた人生でもありました)。
また、『源氏物語』の冒頭で、幼い息子(光源氏)を残して亡くなった母・桐壺更衣と、その死を悼み悲しみに暮れる桐壺帝の姿は、当時の読者に対して、24歳で幼い子供を残して亡くなった中宮定子と、悲しみに沈む一条天皇を思い起こさせたはずです。
そうした、当時の宮廷では旧知の事実が、『源氏物語』のキャラクターや作品世界に、リアリティと鮮やかな彩りを与えていたわけで、現代に生きるわたしたちは、それを補記情報として知ることで、やっとその理解の端緒につくことができるのだと思うのです。
最終更新:4/8(水) 12:10
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