新型コロナの感染拡大が止まらない。2度延期された開幕日は、3度目にしてついに無期限に。プロ野球界も非常に大きな影響を受けている。
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すでに143試合、CS、日本シリーズの完全消化は絶望的な状況であり、にわかに現実味を帯びているのがダブルヘッダーの実施である。セ・パいずれも1998年が最後で、仮に実施されれば22年ぶりということになる。
草野球をやりたくてもやってはいけない。見に行きたくてもやってもいない。そんな野球ファンのために、せめて「ダブルヘッダーの名勝負10選」をお届けしたい。
<第10位> 1999年4月3日
今となってはお忘れのファンも多いだろうが、当時の東京ドームは巨人、日本ハムのダブルフランチャイズだった。つまり、試合がかぶることもあったが、これが最後の開幕カードかぶり。巨人が昼間、日本ハムが夜というパターンが多かったが、このときは逆。12時33分プレーボールで日本ハムが近鉄に9対0で完勝。19時5分から巨人(こちらは開幕2戦目)は野村克也新監督率いる阪神に4対9で敗れた。ダブルヘッダーではないが、特別にランクイン。
<第9位> 1942年5月24日
フランチャイズ制導入前の職業野球は、4球団が集まり、1日3試合行うことが多かった。この日も変則トリプルヘッダー。その第3試合に「世界記録」が誕生した。名古屋対大洋はいずれも2試合目だった。延長28回、日没引き分け。名古屋の西沢道夫、大洋の野口二郎ともに完投で、3時間47分で終了した。
<第8位> 1953年年8月9日
東急対近鉄のダブルヘッダー(後楽園)は、第1試合がなんと延長20回、4時間46分の大熱戦となった。これを5対4で近鉄が制し、第2試合も接戦に。8回に勝ち越した東急が4対3で振り切った。試合終了は午後11時49分。お疲れ様でした。
<第7位> 2003年6月28日
ヤンキース対メッツの交流戦は「サブウエイシリーズ」と呼ばれるが、この年は第1試合をヤンキースタジアム、第2試合がシェイスタジアムと、ファンは本当に地下鉄で移動することに。松井秀喜が2試合で満塁本塁打を含む7打数6安打、6打点の大活躍。試合もヤンキースが連勝した。
<第6位> 1967年10月12日
球場が違うダブルヘッダーは、日本でも例がある。広島は第1試合を巨人と後楽園で戦い、第2試合は産経と神宮で戦った。本郷の宿舎で休んでから神宮に向かったそうだが、4番の山本一義は「もうこりごりだ」と疲労困憊。広島の中村光哉は「異なる球場で1日2試合登板」の珍記録で名を残している。
<第5位> 1956年10月
疲労困憊といえば、こちらが上。近鉄はラスト10カードすべてダブルヘッダーという地獄の日程。とくに10月5日の高橋戦から8日の大映戦までは4日連続。川崎、駒沢、川崎、茅ヶ崎と場所を変え、3勝5敗でようやくシーズンを終えた。
最終更新:4/8(水) 19:01
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