ここから本文です

ポンテは大事な試合で必ず決定的活躍。 浦和は黄金期を迎えた

4/8(水) 11:10配信

webスポルティーバ

1993年~2019年Jリーグ『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた第2回:2007年のロブソン・ポンテ(浦和レッズ/MF)

【動画】久保建英の今季ラ・リーガTOP5スキル

 2000年代中盤、浦和レッズは数年にわたって黄金期を謳歌した。そのチームの中心にいたのが、万能の攻撃的MFロブソン・ポンテだった。

 浦和は結果の出なかったJリーグ序盤を経て、2003年にハンス・オフト監督のもとでリーグカップを制して初タイトルを獲得。翌シーズンにギド・ブッフバルト監督を招聘し、リーグのセカンドステージで優勝を飾った。翌2005年夏にそれまでのエース、エメルソンがカタールへ去ると、ドイツ人指揮官は母国のレバークーゼンからポンテを連れてきた。

 レバークーゼンではディミタール・ベルバトフやフランサらと魅惑の攻撃陣を形成し、チャンピオンズリーグにも出場。2004-05シーズンのグループステージでは、ジネディーヌ・ジダンやルイス・フィーゴを擁したレアル・マドリードを3-0で叩きのめし、フランチェスコ・トッティやアントニオ・カッサーノがいたローマにも3-1で快勝している。

浦和に入団した時は28歳。Jリーグではあまり例のない、選手としてのピークを迎えたところでの来日だった。新天地でエースナンバー10番を任されたイタリア系ブラジル人は、Jリーグにデビューした試合でいきなり1得点1アシストを決めて逆転勝利に貢献。日本のピッチにすんなりと適応し、半年間のデビューシーズンで8得点を挙げて2位フィニッシュの原動力となり、天皇杯で優勝した。

 翌2006年シーズン、ポンテは夏に負傷で長期欠場を強いられたものの、最終節のガンバ大阪との直接対決で同点ゴールを決め、ワシントンの得点をアシストし、クラブ史上初のJリーグ優勝をたぐり寄せた。

 そして2007年、30歳で3シーズン目を迎えたポンテが、チームとリーグの主役を張った。

 リーグで初優勝したあと、ホルガー・オジェック新監督を招いた浦和は当初、それまでの個人能力に頼った攻撃からの脱却を図り、ポゼッションスタイルに舵を切った。だが開幕直前のスーパーカップでガンバ大阪に0-4と大敗し、第7節川崎フロンターレ戦で長らく継続していたホーム無敗記録が途絶えるなど、新機軸は思うように機能しなかった。

1/2ページ

最終更新:4/9(木) 18:11
webスポルティーバ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事