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弟が明かした松坂大輔の素顔。ソフトバンクホークス時代は「さすがに弱っていた」

4/8(水) 6:20配信

週プレNEWS

14年ぶりに古巣の西武に復帰した松坂大輔(39歳)。新型コロナウイルスの影響で開幕の時期は不透明だが、プロ22年目のシーズンに向けて調整を進めている。

【画像】兄・松坂大輔氏について語る弟の恭平氏

令和に入ってなお、大きな注目を集める"平成の怪物"について、2歳年下の弟・恭平(きょうへい)氏に話を聞いた。恭平氏も幼い頃から野球を続け、東京六大学や独立リーグでもプレーし、現在は米スポーツブランド「アンダーアーマー」の日本総代理店である「株式会社ドーム」に勤務している。野球界のスターになっていく兄・大輔は、弟からどう見えていたのか。


* * *

――恭平さんは、今年2月に始めた配信サイト「note(ノート)」で大輔さんとのエピソードを数多く配信していますね。

松坂恭 実は同日に、YouTubeの配信も始めたんです。オンライン上で丁寧な接客をしたいと思ってのことですが、そちらを多くの方に見ていただくためにnoteを活用しようと考えて。その際に、「兄との話をしたほうが注目されるだろう」と思ったんです。

――これまでは、ほかのメディアでも大輔さんの話はあまりオープンにしていなかったと思うのですが。

松坂恭 入社当初から、社長に「松坂大輔の名前に頼るのはダメ。兄貴もいつか引退するし、松坂恭平として社会人の力をつけないといけない」と言われてきて、自分でもそれを理解して仕事をしてきました。でも、休職も挟んで現在の会社も15年目になりますし、そろそろ兄をネタにしてもいいだろうと(笑)。

――では、さっそく幼少期の話から伺います。恭平さんが野球を始めたのは、やはり大輔さんの影響ですか?

松坂恭 そうですね。自分から「野球がやりたい」という感じではなく、兄が小学3年生から野球を始めたので、「自分も」という流れだったと思います。

小学生のときは東陽フェニックス(東京・江東区の少年野球チーム)で一緒にプレーしました。兄は投げるよりも打撃がすごく、大事な試合でいつもホームランを打っていたイメージがあります。野球を細かく教わったことはなくて、スライダーの握りを聞いたときも「ちょっと指をずらして投げるんだよ」くらいでした(笑)。

――大輔さんはどんな野球少年でしたか?

松坂恭 よく僕は「我が強く、負けず嫌い」と言われていましたが、絶対に兄のほうが負けず嫌いです。負けを認めない、負けを人のせいにするといったことはなく、その悔しさを糧(かて)にひたすら練習して結果を出すタイプでした。

――"さぼりのマツ"と呼ばれていた高校時代とは、だいぶイメージが違いますね。

松坂恭 それは中学時代から言われていましたが、練習しないイメージはまったくないです。兄は自分の体の状態を誰よりも理解していましたし、「これ以上やったらヤバイ」という感覚があるんでしょう。無理してケガをしないように、誰に何を言われようが、練習量をコントロールしていたんだと思います。

――兄弟仲はどうでしたか?

松坂恭 僕が中学1年の頃からしばらく仲が悪かったですね。当時の僕は野球を"やらされている感"が嫌いで、友達との遊びのほうが楽しくなり、ちゃんと練習しなくなったんです。それなのに兄の野球に口を出すから、ケンカに発展する。だいたいの原因は僕がつくっていました。

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最終更新:4/8(水) 9:03
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