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ゴン中山が記録的ゴール量産。 結実したジュビロ磐田のパスサッカー

4/9(木) 11:10配信

webスポルティーバ

1993年~2019年Jリーグ『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた第3回:1998年の中山雅史(ジュビロ磐田/FW)

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 1997年にクラブとして初めてのJリーグ王者となってから、2002年にファースト、セカンド両ステージを制して、史上初の完全制覇を達成するまでのジュビロ磐田は、おそらくJリーグ史上でも最強のチームだったのではないか。

 99年には敵地テヘランのアザディスタジアムでエステグラル(イラン)を破って、アジアクラブ選手権(現AFCチャンピオンズリーグ)のタイトルも獲得している。

 その磐田の黄金期に欠かせない選手が、中山雅史だった。

 磐田の強さの秘密は、当時の日本代表の主力級をそろえた中盤にあった。代表でもボランチ・コンビを組んだ服部年宏と福西崇史の2人が後方を固め、藤田俊哉という天才パサーが攻撃を組み立て、攻撃的MFの奥大介が2列目から前線に切れ込んだ。そして、その中盤の中央に位置する名波浩がゲームをコントロールしてタクトを振るった。

名手たちがシンクロナイズする磐田の中盤。選手間の距離を短くして小さなゾーンをつくって中盤を制圧し、互いが"阿吽の呼吸"でカバーし合うと同時に、それぞれのストロングポイントを存分に発揮したのだ。これが世に言う「Nボックス」である。

「Nボックス」こそが、当時の磐田の強さの根源だったことは間違いない。言わば、第2次世界大戦前から長い時間をかけてパスサッカーを追求し続けてきた日本のサッカーの、一つの到達点だったと言ってもいいだろう。

 ただ、パスサッカーに優れたチームというのは、しばしば中盤でのボール回しに自らが酔ってしまうところがある。その点で、磐田がその強さを「結果」につなげられたのは、最強の中盤に加えて優れたストライカーが存在していたからだった。

 94年にJリーグに加盟する前から磐田の攻撃を引っ張ってきた中山雅史と、磐田の黄金時代に加入した高原直泰は、ともに日本を代表するストライカーだった。

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最終更新:4/9(木) 18:09
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