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オリックスの意地が凝縮された小林宏の14球/プロ野球20世紀・不屈の物語【1995年】

4/10(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

被災した神戸からの快進撃

 1995年1月。関西地方を阪神・淡路大震災が襲う。甚大な被害を受けた神戸に本拠地を置いていたのが、オリックス・ブルーウェーブだった。選手をはじめ、球団関係者の多くも被災者。周囲は「今年のオリックスは野球どころではない」と思い、神戸の被害を見た関係者も「今年はペナントレースに出てはいけない」と感じたという。確かに、プロ野球は娯楽であり、ひとたび大きな災害が起きれば、娯楽は後回しになる。実際、それどころではない場合もあった。日常生活もままならない人が多くいて、そして気の遠くなるような忍耐を強いられる。それでも、そんな耐える時間の長い、短いこそあれ、時間が経てば事態は徐々に落ち着き、人々の心にも余裕が戻ってくるのだ。そのとき、娯楽は人々の心に元気や勇気を生み出す。プロ野球も、そんな娯楽の筆頭といえるだろう。

 この95年、オリックスの選手たちも、その使命を背負い、ペナントレース開幕から参戦。「がんばろうKOBE」の合言葉をユニフォームの袖に縫い付けて、順調に勝ち進んだ。6月には首位に立ち、後半戦は黄金時代の西武を寄せ付けず。7月22日には早くもマジックが点灯。9月中旬に足踏みして地元ファンの前での胴上げはかなわなかったが、19日の西武戦(西武)でチームが阪急からオリックスとなって、そしてブレーブスからブルーウェーブとなって初の優勝を決めた。仰木彬監督を胴上げするナインは涙を浮かべ、「これで少しは被災者の方に勇気づけができた」と笑顔を見せる。94年にプロ野球で初めてシーズン200安打を突破したイチローが2年連続で首位打者、そして打点王、盗塁王にも輝いた。

 日本シリーズの相手はヤクルト。野村克也監督の“ID野球”で92年からセ・リーグ連覇、93年は日本一に。94年は失速したが、95年はオリックスと同様、開幕から安定して勝ち進んで優勝を決めていた。

 そして日本シリーズ。ヤクルトは第1戦(GS神戸)から徹底してイチローを封じ込める。オリックスはクローザーの平井正史が苦しんだこともあって、本拠地で連敗を喫すると、敵地の神宮球場へ移って3連敗に。早くも王手をかけられて迎えた第4戦(神宮)、オリックスも意地を見せる。試合はヤクルト先発の川崎憲次郎とオリックス先発の長谷川滋利による投手戦に。だが、5回裏にヤクルトが1点を先制。それでもオリックスは7回裏からリリーフした鈴木平も好投して、打線の援護を待つ。そして9回表、先頭の小川博文がソロ本塁打を放って、ついに同点。試合は延長戦に突入する。

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最終更新:4/10(金) 11:05
週刊ベースボールONLINE

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