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新人レース落選の小泉今日子をトップアイドルにした筒美京平の神業

5/5(火) 12:02配信

FRIDAY

アイドル自らが「私はアイドル」と宣言したあの名曲誕生の秘話とは?

J-POPの礎を築いたといわれる作曲家、筒美京平。彼は2回のレコード大賞受賞やトップ10ヒット200曲以上を放った歌謡曲史上最も偉大なヒットメーカー。最近は“昭和ポップス”がTwitterのトレンド入りをして注目を集めていますが、筒美京平はまぎれもなく、その第一人者といえるでしょう。

今回から始まる連載では、僭越ながら、わたくしサリー久保田が毎回ひとりの’80年代アイドルを取り上げ、そんな京平サウンドの魅力について筆をとらせていただきます。記念すべき第1回は小泉今日子です。昨年、小泉今日子を担当されていた元ビクターディレクターの田村充義さんと仕事をご一緒したこともあり、田村さんからうかがった話も併せて紹介します!

◆アイドル乱立82年組。小泉今日子の起爆剤は筒美京平との初タッグ「まっ赤な女の子」

小泉今日子がデビューした1982年は“花の82年組”といわれ、中森明菜、松本伊代、早見優、堀ちえみ、石川秀美などアイドル大豊作の年。けれど、当時アイドル界を席巻していたのは’80年にデビューした松田聖子。ゆえに全員、髪型は“聖子ちゃんカット”、衣裳も似たようなフリフリのミニドレスで、彼女もその中のひとりでした。

2枚目のシングルで、林寛子の「素敵なラブリーボーイ」をカヴァーして話題にはなりましたが、レコード大賞の新人賞にノミネートされることはありませんでした(驚くことに「少女A」でブレイクした中森明菜もノミネートされていません)。

やはりここは筒美京平の出番と言わんばかりに曲をお願いしたそうですが、依頼が殺到していて、常に順番待ちだったそうです。そしてようやく書いてもらったのが5枚目のシングル、「まっ赤な女の子」(1983年)。田村ディレクターはこの曲から担当で、小泉今日子は次第にトップ10どころか、ベスト3入りの常連となっていきます。

筒美京平はリズム隊のドラムとベースを際立たせるグルーヴのある曲作りが大得意で、それは’60年代のグループ・サウンズやビート歌謡、’70年代のディスコ歌謡の作品から、なんら変わりません。ちなみに、’70年代はアレンジも自身が手がけていましたが、’80年代に入ってからはプラスαの時代感を求めて、若い世代にアレンジを任せています。

田村ディレクターは「新しいサウンドにしたい」と希望し、同時に筒美京平も「最先端の音で」という思いでアレンジを佐久間正英に依頼。佐久間と言えば、泣く子も黙る日本最高峰のロックバンド“四人囃子”からの先鋭的テクノバンド“プラスチックス”の元メンバーと、とてもかっこいいキャリアな人。結果、常に時代の先進性を取り入れつつポピュラリティーもある筒美京平サウンドが完成しました。

作詞家の康珍化が、純情でまっすぐな女の子像とトレンディーな言葉遊びとを融合させ、同時代の松田聖子の “何もかもめざめていくわたし”路線や中森明菜の“ツッパリ”と“せつなさ”を交互に展開する世界とも違った、全く新しい路線を導き出したことも、この曲の強みです。

イントロのコーラスの〝ちりちり ジリジリ~〟で、おっ、スティックスの「ミスターロボット」みたいじゃんとなり、サビの〝まっ赤な女の、子ッ〟というしゃくり上げる歌唱はバディ・ホリー風で(笑)、明るいメロディとキュートな歌声に、当時の男子はメロメロでした(笑)。

◆中山美穂につながる“松本=筒美=船山トリオ”が手掛けた「迷宮のアンドローラ」

この頃から小泉今日子は、髪をショートカットにして大胆にイメチェン、中森明菜に次いで“花の82年組”からトップに躍り出ます。田村ディレクター曰く、歌唱力のある松田聖子と中森明菜のふたりがいて、小泉今日子は3番目の“普通の女の子”という立ち位置を考え、“普通”ゆえに常にいろいろな変化を考えたそうです。

次の筒美京平作曲の「迷宮のアンドローラ」(1984年)でひとつの奇跡が起きます。作詞に小泉作品初の松本隆、編曲は船山基紀で、そうここで、1980年にヒットした榊原郁恵のテクノポップ歌謡の傑作「ROBOT」の松本=筒美=船山トリオが再び集結したのです!

このトリオは画期的な打ち込み風サウンドを成功させ、それはのちの「WAKUWAKUさせて」(1986年/中山美穂)などのダンス・ビート歌謡の布石となるのですが、その話はまた次回に(笑)。

「迷宮のアンドローラ」は、アース・ウィンド&ファイアーのジャケットなど、宇宙っぽいイラストで有名な長岡秀星の展覧会のイメージソングでした。当時は、ちょっと地味でアース風なダンス曲だな、などと思っておりましたが、今回改めて聴き直してみて、再認識するところが多々ありました。

イントロがピンク・レディー風、曲調も岩崎宏美ディスコ風。思えば、小泉今日子の歌にはどこか石野真子や桜田淳子風なキュートさやコミカルさもあって、よく言われていることですが、’70年代ビクターアイドル伝統のDNAが受け継がれているんですね。サビのせつないクリシェ(ビートルズ「ミッシェル」のイントロのように、コードのひとつの音を半音ずつ下げたり上げたりする)のコード進行もステキです。

アイドルの伝統を受け継ぎつつも古典的な感じがしないのは、常に進化系だからであって、それは田村ディレクターの手腕であったり、より多くの作品に関わった筒美京平の功績なんです。

また、この曲では編曲の船山基紀が、当時日本でまだ数人しか持っていなかった1000万円以上もするといわれるシンセサイザー“フェアライト”を使って、歌謡界では革命的な打ち込みサウンドでアレンジしています。

その勢いのまま作った全曲筒美=船山コンビのアルバム『Betty』(1984年)、これがまた実にいいんです。筒美京平が本来好きなジャズとポップスの世界観と、船山基紀のタイム感のあるデジタル・サウンドが合体して、アーティスト“小泉今日子”を際立たせた名盤です。

◆「なんてったってアイドル」誕生秘話。「“曲先”の筒美京平作品VS“詞先”の秋元康作品」の戦い

1985年、アイドル界に革命が起きます。バラエティ番組『夕やけニャンニャン』から、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が大ヒット。作詞はもちろん秋元康。女の子が集団で、しかも〝セーラー服を脱がさないで〟なんてこれまでにはありえない歌詞を歌っているわけで、それはアイドル界にとっては、まさに脅威だったはず。「毒をもって毒を制す」ではないけれど、田村ディレクターは、あえて秋元康に作詞を発注することになります。

この時、筒美京平と秋元康、田村ディレクターの3人のやりとりで、秋元康は詞先、筒美京平は曲先で同時に2曲作り、いい方をシングルにしようという展開になったそうです。その結果決まったのが、詞先の「なんてったってアイドル」でした。(ちなみに曲先は「U・BU」という曲で、アルバム『今日子の清く正しく美しく』(1986年)に収録。とても洒落ている筒美京平らしいラテン風ダンスナンバーです)

そう、この曲こそがアイドル界に革命を起こし、当時の音楽シーンに風穴をあけました。’80年代初頭からのアイドル・ブームもやや飽和状態の中、突然“私はアイドル”と宣言したからです。この開き直りには、ローリング・ストーンズ「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」の〝たかがロックンロール、でもそれが大好きなんだ〟的なかっこよさがあり、客観的に見ていたわたくしは、なんて痛快で、なんてステキで、なんてお洒落なんだろうと感激したもんでした。

もちろん詞のインパクトも絶大でしたが、やはりそこはヒットメーカー筒美京平、歌謡曲最高峰のロックンロール・ナンバーに仕上げました。一見、普通の循環コード進行に聴こえますが、Bメロでメジャーセブンス・コードを使い、少しなごませ、サビでは万人が軽快に楽しく歌えて盛り上がるという素晴らしい展開に。決して難しいことはやっていないのに耳に残るフレーズを入れてくるところは、天才としか言いようがないです。

アレンジは生演奏が得意な鷺巣詩郎。実はこの曲は編曲も2タイプあって、鷺巣詩郎と先出の船山基紀のふたりに発注したそうです。船山基紀は例のシンセサイザー、フェアライトでアレンジしたと、昨年出版された自身の半生記に書かれています。どんなアレンジだったのでしょうかね。機会があれば聴いてみたいですよね。ちなみにSEで歓声が入っていますが、これは、渋谷公会堂での小泉今日子のライブから音を抜いて入れたそうです。

◆夏にあえてのシック路線。ファン層が拡大した「夜明けのMEW」

「なんてったってアイドル」大ヒットの後、次に筒美京平が手がけたのは、翌年7月にリリースされた「夜明けのMEW」(1986年)。秋元=筒美コンビのアナザーサイドな曲です。小泉今日子は、ある時はキュート、ある時は清楚、ある時は悪女などいろいろな表情をもっていて、このせつない恋愛ソングは、ちょっと大人な気分で歌いこなしています。またメランコリックな気持ちを猫の鳴き声に例えた歌詞世界は秀逸。そして筒美京平のト長調(Key=G)とホ短調(Key=Em)を効果的に使い分けた美しいメロディは、今でも聴くと涙腺が緩むことがあります。傑作です。

田村ディレクターによると「夏場はみんな勢いのいい曲を出してくるけど、わざとおとなしい曲をぶつけた」とのこと。小泉今日子の歌唱力が抜群に上がってきたこともあり、じっくり聴かせる曲で新しい一面を見せ、ファン層がさらに拡大していきました。

この頃になると、小泉今日子はある意味ファッションリーダー的な存在になっていました。その後は、ビブラストーンの近田春夫にハウスな楽曲をお願いしたり、ヴィジュアルもポップカルチャーに明るい川勝正幸がディレクションしたり、スタイリストとかDJとか、いわゆる “業界”の人たちとも交流を深めていきました。

トレンドの最先端に受け入れられつつ、一方ではサブカル層にも人気がありましたね。

「キョンキョン」から「コイズミ」へ。アイドルからシンガー、アーティストへと、あっという間に進化を遂げた小泉今日子。その勢いは’90年代に入っても止まらず、今に至ります。わたくし自身振り返ってみても、「なんてったってアイドル」と「夜明けのMEW」はテレビで見たとたん、リアルタイムですぐにレコード屋に買いに行きました。そしてクレジットを見て、「やっぱ筒美京平の作曲だよ」と独り言をつぶやいていました(笑)。

参考資料/『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)、高護『歌謡曲―時代を彩った歌たち』(岩波新書)

文・ロゴデザイン:サリー久保田
アートディレクター、グラフィックデザイナー、映像ディレクター、ミュージシャン。ミュージシャンとしてはザ・ファントムギフト(1987年・ミディ)、les 5-4-3-2-1(1992年・コロムビア)、SOLEIL(2018年・ビクター)でデビュー。音楽監督を務めた映画『GSワンダーランド』(2008年・本田隆一監督)では、憧れの筒美京平作品(劇中歌「海岸線のホテル」)のアレンジを手がけた。現在、SOLEILのラストコンサートを収録したDVD『LIVE AT VEATS』(ビクター)が絶賛発売中。

FRIDAYデジタル

最終更新:5/25(月) 17:12
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