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13歳でリバビリ施設へ。天才子役と謳われたドリュー・バリモアの壮絶な半生。【セレブの自叙伝vol.5】

5/22(金) 22:42配信

VOGUE JAPAN

飾らない生き方で共感を集めるドリュー・バリモアだが、肩の力が抜けた素敵な大人女性になるまでの半生はドラマの連続だった。1982年、『E.T.』の世界的な大ヒットで7歳にして人気子役スターになった彼女は、ハリウッド創成期に活躍した名優ジョン・バリモアの孫で、祖母や大伯父、大伯母、父のジョン・ドリュー・バリモアも俳優という一族の出身だ。

1990年、15歳にして発表した初の自伝『ハリウッド・エンジェル』には、衝撃の事実が綴られていた。生後11カ月で早くもCM出演していたドリューは『E.T.』のおかげで一躍有名になったが、それが原因で学校ではいじめに遭っていた。登校拒否状態の彼女は母親と連日のようにパーティーに出かけ、8歳にしてニューヨークの伝説のクラブ「Studio 54」の常連に。

9歳から飲酒や喫煙を始め、10歳で大麻、12歳でコカインに手を出し、13歳にしてリハビリ施設に入所。リハビリ終了直後の1988年から『ハリウッド・エンジェル』を執筆し始めたが、書き終わる前に再び大麻を吸ってしまい、自殺未遂も起こして自らの意志で再入院、退院を間近に控えた14歳の時点で筆を置いている。

ローティーンの時点で分厚い自伝1冊分の波乱万丈を経験したドリューも、デミ・ムーアと同様に母親との確執に苦しんだ。売れない女優だった母ジャイドは、娘に自らの夢を託すように次々と仕事をさせ、親らしいことは何もしなかったという。ドリューは諸悪の根源は母親にあると判断、依存症を克服した15歳の時にジャイドからの独立を求めて裁判を起こし、勝訴した。一人暮らしでアルバイトをしながらオーディションを受け続け、女優としての基盤を再構築していった。

そんな彼女は恋多き女優でもある。1991年、16歳で映画プロデューサーのリーランド・ヘイワードの息子と婚約し、数カ月で解消。その後、俳優のジェイミー・ウォルターズと婚約したが、こちらも1年で破局した。そして1994年にバーのオーナーと最初の結婚をするも2カ月足らずで離婚、2001年に結婚したコメディアンのトム・グリーンとは5カ月で離婚に至った。

それまで短期交際と結婚が続いたが、ジャスティン・ロングとはオンとオフを繰り返しながら3年ほど交際した。2012年にはアート・コンサルタントのウィル・コペルマンと3度目の結婚をし、娘二人に恵まれたが、彼とも2016年に離婚している。

実は2015年にも自伝的内容のエッセイ集『Wildflower』を出版しているドリューは、『ハリウッド・エンジェル』以降の歩みの中で学んだこと、彼女が生後半年の時に家を出た父親との関係についてなどを綴っている。ジョン・ドリュー・バリモアとはずっと疎遠だったというが、2003年にホームレス状態だった父を自宅近くに住まわせ、翌年ガンで亡くなるまで医療費支払いなど面倒をみた。

一方で母親に対しては複雑な感情を抱き続け、距離を縮められずにいたが、2017年の母の日にはインスタに母と笑顔のツーショットを投稿している。14歳の頃、「25歳までに死ぬと思っていた」というドリューだが、現在では女優のみならず製作者としても活躍し、インテリアブランドのFLOWER by DrewやコスメブランドのFLOWER Beautyなど、ビジネスも幅広く手がけている。

最終更新:5/22(金) 22:42
VOGUE JAPAN

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