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「反逆者」と呼ばれた男たちが切り拓く日本球界の未来【2】「夢を批判する権利は誰にもない」。吉川峻平が選んだ己の道

5/23(土) 17:01配信

THE DIGEST

 3月のアリゾナはすでに暑い。気温はすでに摂氏30度近くに達している。日差しが強く、長時間にわたって眼を開けているのが苦痛なくらいだ。

 スプリング・トレーニング中のある日、スコッツデールにあるダイヤモンドバックスとロッキーズの合同施設「ソルトリバー・フィールド」を訪れると、静かに練習に打ち込む選手たちの姿があった。ダイヤモンドバックス傘下のマイナーリーガーたちだ。

 本来、マイナーの選手たちは午後から練習するのだが、その日はメジャーのオープン戦が夜に行われるということで順番が入れ替わっていた。腰のリハビリ中だという日本人選手を待っている時間に練習を眺めていたのだが、指導者たちからの声がほとんど聞こえてこない静かな空気の中で、選手たちは自己研鑽に励んでいた。

 日本とまったく違う練習風景。この環境からスーパースターが誕生するのかと思いながら見守っていると、スマートフォンが鳴った。「そろそろ、吉川の取材O Kです」。通訳からの連絡だった。

 およそ1年ぶりに会ったその男は、依然と変わらぬ飄々とした姿で取材場所に現れた。

 吉川峻平が世間を騒がせたのは2018年の秋前のことだ。

 関西大を経て社会人野球の強豪・パナソニックで活躍し、多くのスカウトがドラフト上位候補と評価していた右腕は、あるスポーツ紙の報道によりダイヤモンドバックスと契約を交わしていたことが判明。一気に大問題へと発展した。

 社会人野球所属の選手がメジャー球団と契約すること自体はルール違反ではない。問題は、社会人野球所属選手でありながらメジャー球団と契約をしてしまったことだった。しかも吉川は、ダイヤモンドバックスと契約を交わした後にもパナソニックの試合にも出場していた。

この問題が明るみに出ると、吉川は悪者になった。そして、ルール違反の批判に乗じて、たくさんの罵声が浴びせられた。

「球が遅くて通用するはずがない」「技術がないのにメジャーに行ってどうするんだ」

日本の球界を経ずに直接、海を渡るアマチュア選手が必ず通る道なのかもしれない。

「僕の場合どうなんですかね。アメリカに行くことで批判している人ってどれくらいいるんでしょうか。どっちかっていうと、ルールを破ったことの方が多いような気がします。それに関しては本当に勉強不足で、いろんな人に迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っています。その思いはこれからもなくならないです。それ以外の批判については、僕は人によく見られたくてこっちに来たわけではないので、気にはしていないです」

 天理高の投手が高卒でメジャーを目指していることに反応が良くないことを伝えると、吉川は高卒で行くことの是非とは別とした上でこう言った。

「夢を批判する権利は誰にもないと思います」

 彼自身も、大学時代のチームメイトからメジャー挑戦を否定されたことがあった。

「やめとけって言われたことがありました。『なんで?』って聞いたら、そいつは『藤浪(晋太郎/阪神)が行っても無理なのに、なんでお前が行けるねん!』と言ってきました。じゃ、なんで藤浪が俺より劣っていると思うん? 俺が持っていないものを彼が持っているのは間違いないけど、藤浪が持っていないものを俺が持っているかもしれない。そこには自信があるので、『それが通用するしないに関わってくるん?』と言い返しました。そいつは大阪桐蔭出身なんですけど、根拠もなく自分の中の評価で僕と藤浪を位置付けて否定してきたんで、僕には響かなかったです」

 吉川が最も納得いかないのは、専門家でもアメリカの事情を知っているわけでもないのに、一方的に「無理だ」「通用しない」と決め付けてくる人間だ。

「頭ごなしに批判するのではなくて、いろいろな目線を持つべきだと思います。その舞台を経験するべきとまでは言わないですけど、ある程度勉強して、マイナーはこういう世界やぞと、日本でプロに行くならこういう良い部分があるとか、そういうのを分かっている人じゃないと、批判されても納得できないと思います」

 吉川がメジャーを志したのは、大学でプロ野球選手を目標としてとらえるようになってからのことだった。そして、プロを意識した時に参考にしたのがメジャーリーグで活躍する日本人選手のプレーだった。そんな中、日米大学野球の日本代表に選出され、吉川のアメリカ志向は一気に深まった。

「ピッチャーが投げたボールがミットに収まる音やバットの音、選手の声が聞こえてくる。そういうのを見ているだけでワクワクしました。大学4年の夏に日米野球選手権に出て、ドラフトで上位指名されるような選手たちを間近で見る機会をもらいました。その時に、日本のドラフト候補の選手たちと一緒にやるのもいいけど、アメリカ代表の選手といつか対戦したいと思ったんです」

 もっとも、すぐさまメジャー挑戦をイメージしたわけではない。大学卒業後にパナソニックに入社し、ひとまずは日本のプロ野球を目指したが、ダイヤモンドバックスが獲得に興味を示していると耳にした。

 2つの選択肢の間で大きく揺れた吉川は、それぞれの道を書き出してみた。日本のプロへ入団した際のメジャーへの夢の描き方と、直接アメリカに渡るケースを、だ。

「自分で考えるベストの形になるとして、メリットとデメリットを1年ごとに書き出してみたんです。NPBに行ったとして、1年目は二軍に行ったりもするだろうなぁとか。でも、どれだけ日本でうまく行ったケースを想定しても、メジャーに行ける頃には30歳を超えてしまう。そこで欲が出たんです。20代のうちに挑戦できるチャンスは限られた人しかいない。そう考えて気持ちがアメリカに傾きました」

 もちろん、その背景には成功者の姿もある。年齢の違いはあるものの、社会人から日本のプロを経ずに直接メジャーへ挑戦してワールドチャンピオンにもなった田澤純一だ。吉川は大学に入った分、遅れはあるが、田澤をイメージすることで自分もその後に続けるのでないかと思った。

「アマチュアから直接アメリカに行くのは、社会人経由が理想なのかなと感じています。中学を卒業してすぐロイヤルズと契約した選手がいますけど、高校生までだといろんな意味で社会を知らない。その中で、言葉の違う国に来るのは簡単なことではない。社会人なら、そこでレベルの高い野球を学べるし、英語の勉強もできますから」。

 1年とはいえ、実際にアメリカのマイナーを体験した吉川の考えだ。天理の投手の件に関しても、重視されるべきはこうした視点なのではないか。

 吉川は、将来への設計図を描くことができた。大学・社会人と進む過程で、たくさんの人と出会い、思考を変化させる中で今の彼が積み上げられた。2つの道筋を書き出して人生を選択したことは、今後メジャーで成功するしないにかかわらず、彼にとって大きな財産となるだろう。

 吉川は今後、日本が変わっていくべきだとしたらと仮定した上で、風潮の変化に願いを込めた。

「これだけ多くの日本人選手がメジャーで成功しているのに、アマから行こうとすると成功しないっていう意見が出るのはなんでかなと思います。メディアの考え方が変わらないと、メジャーに挑戦する人たちへの目の向けられ方は変わらないのかなと思います。理想を言うと、ドラフト候補へのインタビューで『君はアメリカに行くのか、日本に残るのか』っていう質問が出るようになったら変わるんじゃないですか。いつか、そうなってほしいです」

 吉川は、ドラフト候補と騒がれていた頃にメジャーに興味があることをメディアに話したことがあるという。しかし、直接挑戦をしたいかというところまで話が及ばなかったそうだ。

 高校からのメジャー挑戦がスポーツ紙の見出しを飾り、ウェブでは多くのP Vを稼ぐ。だが、「出る杭は打たれる」のごとく夢を語る若者が批判に晒されるばかりで、本来あるべき姿や今後目指すべき道など、建設的な議論になかなか発展しない。そこに、今の日本球界が抱える問題がある。
【第3回に続く】

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。

最終更新:5/23(土) 17:01
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