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「プロパガンダ」の効果は、なぜ過大評価されるのか

5/23(土) 9:01配信

現代ビジネス

対人不信と陰謀論の広がり

 不安な時代である。

 新型コロナウィルスの感染拡大はどうなるのか、第一波を乗り切ったとしても第二波は来るのか、経済はどうなってしまうのか。マスメディアやインターネットで流れてくる情報を眺めているだけで、言いようのない不安に襲われてしまう人は少なくないはずだ。

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 この危機においてやはり何らかの役割を果たしてくれることを期待したいのが、政府や自治体である。役所などの現場で働いている人を含め、その大部分は懸命に努力してくれているとは思う。だが、政府支給の布マスクにまつわるごたごた騒ぎなどにフォーカスが当たると、どうしても残念な印象が生まれてしまう。

実際、コロナ対応をめぐって被害がはるかに深刻なアメリカやイギリスなどよりも日本において政府への信頼度が大きく下がっているという調査結果も報告されている*1
。もっともこれは、コロナ対応にのみ起因するのではなく、ここ数年来で発覚した政府文書の隠蔽や改ざんによって蒔かれていた疑惑の種がここに来て芽吹いたということなのかもしれない。検察庁法改正案に対する抗議運動の急速な広がりは、おそらくそれと無関係ではない。 ただし、コロナウィルスによって喚起された不信は政府にのみ向けられるわけではない。誰が感染しているのか、誰が自粛していないのか、あるいは誰が自粛警察なのか。目に見えないウィルスは人びとのあいだにまで疑念という楔を打ち込んでいるかのようだ。

 このように対人的な不信が高まってきたときに注意しなくてはならないのが、「陰謀論(conspiracy theory)」の広がりだ。ツイッターで散見された、検察庁法改正案への抗議運動の広がりは何らかの組織による指示によるものだという主張は、典型的な陰謀論と言ってよいだろう。

 もっとも、陰謀論の定義は大変に難しく、その明確な定義を避ける研究者も多い。それが難しい理由の一つとして、情報の妥当性にまつわる言葉は、否定したい情報の価値を切り下げるためのレッテルへとすぐに転化してしまうことがある。フェイクニュース、デマ、プロパガンダ等々と同じく、陰謀論という言葉も世の中に広く出回るようになったために自分が気にくわないものを投げ込むためのゴミ箱的な言葉になってしまっているのだ。

とはいえ、陰謀論によくみられる特徴を抽出できないわけではない。ここでは陰謀論の特徴として、「物事にはその見た目とは異なる裏の面が存在すると考える」「全ての物事はつながっていると考える」「偶然に起きることは何もないと考える」を挙げておきたい*2
。 なぜこうした特徴が生まれるかと言えば、それは陰謀論の作られ方と関係している。物事の背後に人目を忍んで陰謀を張り巡らせている集団がいると考える人物は、事実の断片を寄せ集め、陰謀が実在するという「証明」としてそれらを強引に結びつける。そのさいにたまたま偶然に起きた出来事までもが「証明」の一部とされてしまうのだ。

 もちろん、世の中に陰謀の類が全く存在しないわけではないし、誤った情報による世論操作の試みなどはありふれているとさえ言える。その可能性を念頭に置いておくのは民主主義社会の構成員にとって必要な態度ですらありうる。

 そうした「健全な懐疑心」と「陰謀論的思考」とのあいだに明確な境界線を引くことはおそらく困難だ。しかし、ポピュリスト的な政治家が陰謀論を活用して特定の集団に敵意を集め、それを自らの政治的求心力へと転換しようと試みる事例などを目の当たりにすると、やはり陰謀論的思考の広がりは民主主義社会にとって深刻な脅威をもたらすと言わざるをえない。

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最終更新:5/23(土) 9:01
現代ビジネス

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