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谷繁の2000本安打の裏に潜む「敗北を拒否する意志」

2013/5/7(火) 11:10配信

THE PAGE

 中日ドラゴンズ、谷繁元信の2000本安打は、プロ入り25年目、2803試合目にしての到達だった。その記録達成への道程は史上最遅、42歳にしての到達は、2012年に41歳5カ月で達成した東京ヤクルトの宮本慎也を抜き最年長記録となった。

 この記録は、キャッチャーという過酷なポジションにおいて、24年間、ずっとトップを張り続けてきたことに対する感謝状のようなものである。

 本人は「特別にこみあげてくるものは意外になかった。常に7、8番という下位打線を打っていてクリーンアップを打ったわけじゃなく、こつこつとやってきた積み重ねだと思う」と自己総括していたが、まさに谷繁のプロフェッショナリズムの結晶の記録である。

 中日のコーチ時代に谷繁を近くで見てきた先のWBCコーチで現在、野球評論家の高代延博さんは、こう言う。

「谷繁の凄さは、キャッチャーという激しいポジションで、ほとんど休まずに24年間、トップを維持して継続してきたことだろう。『無事これ名馬』というが、彼の場合、まさにその言葉がピッタリと来ると思う」

 1m76cm、80kgの肉体は、特別大きくて頑丈なわけではない。捕手という過酷な職業柄、2008年には、腰椎の椎間狭窄症で足に痺れが出て何試合かを欠場して、2009年には右ふくらはぎ痛で1カ月休んだこともあった。だが、必ず、あの場所に戻って来た。

 高代さんは、一度、谷繁が、若い選手に対して説教しているシーンを見たことがある。

「痛い、痛いと言うな。五体満足でグラウンドに出ている選手など誰もいないんだ」

 それが、谷繁のチームへの献身、プロフェッショナリズムなのだと高代さんは思った。

 おそらく目に見えぬ故障などは、山のように抱えているのだろう。しかし、厳しい自己管理で、それをケアして、決して弱音を吐かない。

 谷繁は2001年オフにFA宣言で横浜を飛び出した。当初、メジャー挑戦を視野に入れシアトル・マリナーズのワークアウトのような入団テストまで受けたが、諸処の条件や投手とのコミュニケーションを図る上での語学力の部分などがひっかかり、日本人メジャーリーガー第一号捕手は実現に至らず中日に移籍している。

 高代さんは、この移籍が、谷繁のプロとしての選手寿命を伸ばしたと見ている。

「かなりヤンチャな性格だと聞いていたが、中日に来た彼の姿はそうではなかった。当時、チームには立浪和義という実績と実力を兼ね備えたリーダーがいた。彼は、立浪を見て立ち振る舞いを見直したのだろう。私は、谷繁は、移籍してよかったと思う。あのまま、谷繁が横浜で、お山の大将のままでいれば、今の谷繁の2000本安打はなかったと思う」

 ひとつ年上の立浪の存在が、谷繁にプロとして大切な謙虚さを与えることになった。

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最終更新:2016/2/14(日) 4:49
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