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1940年に「幻の東京五輪」/日本の五輪招致の歴史

2013/9/5(木) 18:41配信

THE PAGE

 日本で開催された夏季オリンピック(五輪)といえば、だれもが1964年の東京五輪を思い浮かべると思います。しかし、それより四半世紀も前の1940年に東京で開催されるはずだった「幻の東京五輪」を知る人は、あまりいないかもしれません。2020年の夏季五輪開催地が、7日(日本時間8日)に決まります。東京都は1964年に続く2度目の五輪開催を目指して立候補しています。「3回目」の開催権獲得はあるのでしょうか。東京の取り組みを中心に、日本での五輪招致活動の歴史を振り返ります。

 フランスのクーベルタン男爵が提唱して始まった近代五輪。第1回大会は1896年にアテネ(ギリシャ)で開かれました。東京が初めて五輪招致を行ったのは、1940年の第12回大会です。それまで、第2回のパリ大会から第11回のベルリン大会まで、五輪はヨーロッパかアメリカでしか開かれていませんでした。東京都が1964年大会後にまとめた「第18回オリンピック競技大会東京都報告書」などの当時の資料を見ると、1940年大会から始まった東京の五輪招致の歴史、まさに宿願だった1964年大会開催の興奮を読み解くことができます。

第12回大会(1940年)東京

 日本が日中戦争・太平洋戦争に突入するずっと前の1930年5月、当時の東京市の永田市長が第12回大会招致の意向を表明しました。そのころ、すでにローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)などの都市が名乗りを挙げていました。中でもムッソリーニ首相が陣頭指揮を取っていたローマが最大の強敵とみられていましたが、翌年、立候補辞退を求めるべく、ムッソリーニ首相に直談判したところ、説得に成功。当面の敵はヘルシンキだけでとなりました。しかし、1936年にロンドン(イギリス)が突然の立候補を表明。第4回大会で開催経験もあるロンドンは強敵とみられましたが、票決の直前に立候補を辞退。結局、東京とヘルシンキの一騎打ちとなり、東京が開催権を獲得しました。

 開催決定後、大会組織委員会が設立され、五輪へ向けた準備が進められましたが、1937年7月に日中戦争が勃発。年が明けても戦火は拡大する一方だったため、政府内でも開催の是非についての議論が出始め、結局、万国博覧会の中止決定なども踏まえ、組織委は涙をのんで大会開催の返上を決定したのでした。

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最終更新:2016/2/18(木) 4:01
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