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元スカウトが語る秘話 宮本慎也を支えた”ナニクソ魂”

2013/10/2(水) 12:20配信

THE PAGE

「野球を楽しむなんてできない」

 8月26日に東京・港区の九段事務所で行われた引退会見で、宮本はこんな言葉を残している。

 「最近は『楽しみたい』とよく言うけれど、僕は野球を楽しむなんてできない」
 その真意が痛いほどによく分かる、と片岡さんは笑う。

 「楽しんでいたら、あそこまでの選手にはなっていない。宮本の胸の奥深くにナニクソ、負けてたまるかという強い信念があったんです。そういうものがあったから、あの年齢までできたんです。打撃にしても非力なだけで、学生や社会人のころからミートそのものは上手かった。タイミングが外れたら無様に空振りするとか、そういうシーンはなかったし、相手投手の配球を読む力にも長けていた。センスがあったわけだから、練習を積んで、プロのスピードやパワーに慣れてきて、スイングがスムーズになってくれば、セカンドの頭くらいは越せる打球を打てるようになると思っていましたから」

 高校通算で数十本の本塁打記録を引っさげた大型遊撃手が入団し、ライバルとなるたびにポジションを失ってなるものかと危機感を募らせ、血のにじむような努力を自らに課してきたのだろう。

宮本は高校時代から職人の域だった

 片岡さんは、宮本が甲子園春夏連覇を達成した1987年のPL学園高の2年生の時から、すでに職人の域に達しつつあった守備に注目していた。
 「超ファインプレーなんてすると一般には上手いと思われるんでしょうけど、我々にとっては偶然という感じにしか受け取れない。宮本の場合は、普通の選手だったら超ファインプレーしなきゃ捕れない打球を、いとも簡単にさばいてしまう。派手さがないというか、派手になりがちなプレーを普通に見せていたんですね」
 実際、宮本は守備において譲れない哲学を持っていた。

 「ヒット性の打球を飛びついてアウトにすれば投手は喜ぶでしょうけど、一方で『打たれた』という思いも残る。それを正面で捕って事も無げにアウトにすれば、投手が精神的に動揺することもない」
 PL学園高から同志社大、そしてプリンスホテルとチェックしてきた過程で、片岡さんは宮本が失策を犯した場面に一度も遭遇することがなかったという。

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最終更新:10/5(金) 18:37
THE PAGE

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