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吉田沙保里に亡き父が伝えたもの

2014/3/14(金) 20:02配信

THE PAGE

 2年後のリオデジャネイロ五輪で採用される新階級で初めての国際大会、国別対抗団体戦(ワールドカップ)直前に吉田沙保里は父、栄勝さんの急死を知らされた。突然のことに混乱し憔悴していたが、週末に開催されるワールドカップへの出場を明言した。この決断にあたり父なら自分にどのようなアドバイスするか。6年前と2年前、レスラー人生の岐路に立たされたときに父が背中を押してくれたことを沙保里は思い浮かべていただろう。

 6年前、五輪2連覇を期待されていた2008年1月、北京五輪の約半年前に沙保里は生まれて初めて外国人選手に敗れた。

 中学生のときに初めて国際大会へ出場して以来、たとえ相手が世界チャンピオンでも負けないという事実は、自らのアイデンティティと深く結びついた記録だった。その記録が途絶えたことで、五輪連覇確実の実力と、どれほど褒めそやされても、レスリングに関わる自信すら失いかけていた。

 その後、実家の道場で父が教える子どもたちと交わるうち、固く縮んだ心身がやわらぎ、練習再開は宣言できた。そのときは、いつもの屈託がない明るさを取り戻したように見えていた。ところが、負けたまま五輪本番にならないようにと出場を決めた2ヶ月後のアジア選手権で、おさまったはずの不安がぶり返した。試合直前、マットに上がるのが怖いと足を震わせ怯えはじめたのだ。

 かつて栄勝さんは、6年前のこの出来事を「負けると、やっぱり怖いんでしょうね」と振り返っていた。

 「計量まではよかったんですよ。でも、試合の直前になったら心配になってきたんだろうな。ずっと勝っていたのに初めて外国人に負けたからね。だから『ここまできて、怖いとか言ってる馬鹿がおるか。勝つも負けるも考える必要ない。一回のタックルで決まるんだから。それで一日がもう、決まるんだから』と言って送り出しましたよ。マットに上がっても足が震えていたし、タックルもふわっと入っていた。勝ったけど、あのときはまだ、自分を取り戻していなかったね」

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最終更新:2016/1/2(土) 4:21
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