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STAP細胞論文問題で注目 「わかめスープ」の源流は理研(理化学研究所)にあり

2014/3/17(月) 12:00配信

THE PAGE

 STAP細胞の論文問題によって、世界中から注目を浴びることになった理化学研究所(理研)ですが、この研究所が「ふえるわかめちゃん」などのアイデア商品や、オフィスで使われるコピー機などの発展に深く関係した組織であることを知っている人は、今はとなっては少ないかも知れません。

 理化学研究所は1917年(大正6年)、日本における資本主義の父とも呼ばれる大実業家、渋沢栄一の呼びかけで創設された伝統ある研究組織です。ビタミンを発見した鈴木梅太郎や日本の原子物理学の世界に多大な功績を残した仁科芳雄など、歴史の教科書に出てくるような著名な研究者を多数輩出しています。また豊富な研究資金を研究者に提供することで、日本の科学の発展に大きく貢献してきました。寺田寅彦、長岡半太郎、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎など数多くのスター研究者が理研との深い関わりを持っています。

 しかし、この団体のユニークなところは、今でいうところの「産学連携」を大規模に実現したという点にあります。鈴木梅太郎が発見したビタミンは、当時、大きな話題となり、理研はビタミン剤「理研ヴィタミン」を商品化、大ヒット商品となりました。のちに医薬食品部門は企業として独立することになり、現在の「理研ビタミン株式会社」の前身となりました。「ふえるわかめちゃん」や「わかめスープ」など、おなじみの商品の源流は理化学研究所にあるわけです。

 このほか感光剤の研究部門は現在のリコーとして独立し、日本のコピー機の技術革新に大きく貢献しました。自動車エンジンの基幹部品のひとつであるピストンリングを開発・製造する理研ピストンリング(現在の社名はリケン)も高い技術力で有名です。このような理研を母体とする研究・企業グループは当時、理研コンツェルンと呼ばれました。

 戦前は極めて大きな影響力を持った理研ですが、戦争という大ピンチを迎えます。ビタミンや自動車部品、感光剤など、研究成果の多くが実は軍事用途としての性格を持ち合わせています。その最たるものは、仁科芳雄を中心に行われた日本の原爆開発です(仁科自身は日米開戦には反対だったといわれています)。しかし研究途上で終戦となり、日本の原爆開発の拠点となっていた理化学研究所は米国によって解体が命じられてしまいます。

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最終更新:2016/1/8(金) 4:53
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