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女子レスリング、米国コーチしている山本聖子の今

2014/4/1(火) 11:40配信

THE PAGE

 直前に父を亡くした吉田沙保里の涙と共に、日本が団体優勝したの女子レスリング国別対抗戦(W杯)には、ロシアや中国など8カ国が参加していたが、米国チームのなかに永島聖子(旧姓・山本)の姿があった。世界で一番厳しく激しい代表争いと言われた、吉田沙保里との2004年アテネ五輪予選から10年が経った今、米国ナショナルチームのコーチになったからだ。米国チームの一員として初めての“来日”だったW杯の感想を彼女に訊くと「試合が終わって、ようやく緊張がとけました」と振り返った。

 留学経験もなかった聖子が米国代表のコーチとなったのは昨年7月のこと。2002年から米国女子代表のコーチであり、現在はヘッドコーチであるテリー・スタイナーから直接“仕事”として要請されたことが始まりだった。

 日本では、テレビCMにも出演した美少女レスラー、美憂の妹として認知されたが、世界のレスリング関係者には4度世界を制した妹の聖子の方がよく知られている。日本人が得意とするタックルなど瞬発系の技術だけでなく、組み手や投げ技などレスラーとしての引き出しの多さは国を超えて賞賛されている。ロンドン五輪のあと日本代表選手ではなくなったが、どのチームのコーチもしていないらしいという噂は世界中へすぐに広まっていたようだ。

 米国の女子代表コーチは、日本のように理事会や様々な会議に諮って決定するのではなく、ヘッドコーチによる指名で決まる。どことも契約していない聖子の状況を知った米国女子ヘッドコーチのスタイナーが、プロのコーチとして契約したいと連絡をしてきた。

 聖子自身、いきなり米国代表を教えることに少し戸惑いもあった。しかし、2008年北京五輪の米国女子代表コーチをつとめた八田忠朗から「チャンスがあるときに、どんどんやりなさい」と励まされるなどして未知の世界へ思い切って飛び込んだ。アドバイス通り契約書を作成し、カナダで暮らす姉のもとでしばらく英語を学んだ後に米国代表の拠点、コロラドスプリングスに移り住んで今に至る。

 コーチとしての契約は1年ごとのため、選手をリオデジャネイロ五輪まで続けて指導できる確約はない。だが、持てる力を尽くして選手を勝たせようと懸命だ。謙遜して「伝わっているかどうかわからない」と言うが、W杯の試合でセコンドにつくと大きな声でアドバイスし、彼女の声を聞きながら選手が動きを変えてゆく場面が何度も見られた。

 同じ予選の組になった日本との試合では、団体としては敗れたものの53kg級、63kg級、75kg級の3階級で勝利した。決勝戦で日本と対戦したロシアが一勝もできずに終わったことを考えると、米国はチーム順位としては6位だが実力はもっと上だったといえる。

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最終更新:2016/1/22(金) 3:37
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