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天下人秀吉から何を学ぶか。「豊臣秀吉~波瀾万丈の生涯」展と「戦争と平和」展で立体的に迫る/大阪

2014/8/18(月) 11:00配信

THE PAGE

 時代の変革者、太閤秀吉の光と影に迫る――。大阪城天守閣(大阪市中央区)が常設展「豊臣秀吉~波瀾万丈の生涯」を開催し、夏休み中とあって多くの来館者でにぎわっている。秀吉はイケメン男優が主役を演じて人気のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』を彩る重要人物だけに、若い世代の関心も高い。同時開催中の夏の展示「戦争と平和」を併せて鑑賞することで、秀吉の陰影に富んだ生涯を追体験できる。

変革者秀吉は公文書を連発して改革断行

 『露と落ち露と消えにし我が身かな なにわのことも夢のまた夢』。秀吉が死に直面し、天下人ながら人生のはかなさを吐き出した有名な辞世の句だが、秀吉自身がしたためた句に接する機会はなかなか巡ってこない。「豊臣秀吉~波瀾万丈の生涯」展では、国の重要美術品である『豊臣秀吉自筆辞世和歌詠草』をはじめ、大阪城天守閣が収蔵する秀吉ゆかりの美術品や古文書が多数展示されている。

 北川央(ひろし)館長は「秀吉を語るうえで欠かせない重要資料で辿りながら、秀吉の生涯を描く展示が実現した」と意気込む。北川館長は3人の天下人を比較し、「信長は中世を破壊し、秀吉は近世を確立し、家康は秀吉が手掛けた近世を安定化させた」と分析。その上で、秀吉が多くの文書を残した理由を次のように解説する。

 「秀吉は時代の変革者だった。中世から近世への移行に向け、検地や刀狩などの改革を断行するため、全国の諸大名に文書で通達して実行を命じた。秀吉の発行した文書の数は信長や家康の比ではない。矢継ぎ早に出された文書から、変革者秀吉の姿が浮き彫りになってきます」

戦国時代だからこそ和平の技術が進化

 下剋上の戦国乱世。武将たちは血なまぐさい戦争に明け暮れていた印象が強い。しかし、戦国時代だからこそ、合戦を終わらせるための講和や和睦の技術が磨き上げられた一面もある。この和平システムに焦点をしぼったのが、「戦争と平和」展だ。城の破壊を命じた秀吉の朱印状などが展示されている。

 秀吉は天下取りの戦いを加速させながら、統一後の平和実現に向け、軍縮的活動も同時並行で進めていく。当時、全国各地には山城やとりでが無数に築かれていた。いったん戦闘が終わるだけでは、社会は安定しない。
北川館長は「秀吉は戦いに勝って地域を支配すると、城を破壊して戦闘力を奪おうとした。

 この廃城令が、後の徳川政権の一国一城令につながった」と話す。応仁の乱以来、戦争が続いてきたが、不要な城をすべて破壊して平和が続く世の中にしたい――と記した秀吉の書状が残っているという。

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最終更新:2014/8/18(月) 11:00
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