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安倍政権に対抗する野党、なぜ、ダメのか? 政治学者・中野晃一【インタビューPart 5】

2014/9/15(月) 15:51配信

THE PAGE

※この動画と記事は、以下のインタビュー記事の一部分をピックアップしたダイジェスト版です。
安倍改造内閣「支持」の背景は? 政治学者・中野晃一教授はどうみる?【フル動画&全文】(http://thepage.jp/detail/20140910-00000025-wordleaf?)

安倍改造内閣の支持率の傾向が読売・日経と毎日で違う理由 菅原琢(政治学者)

安倍晋三首相は3日、内閣改造を実施し、第2次安倍内閣が発足した。メディアは、女性閣僚を5人に増やしたことについて「女性の登用を前面に打ち出した」と大きく報じた。これに対し、政治学者の中野晃一教授は「女性ではあるけれども、極めて保守的であるということが任命の要。そこに触れた新聞は、あまり多くはない」と指摘する。海外のメディアにコメントを求められることも多い中野教授が、「安倍政権と野党」について語る。

――対抗する野党についてはどうか。

中野:そもそも、日本語として、与党、野党という言葉を使っていますが、これらの言葉が適切なのかという議論が、民主党政権が誕生したときにありました。与党というのは「政権に与る(あずかる)党」という意味ですから、まず先に、官僚が作る「政権」というものがあって、そこに後から政治家が関わっていくイメージなのです。つまり明治憲法の認識なのです。しかし、国民主権の憲法で、政治家こそが「政権」を形づくるのだと考えると、「政権党」という言い方のほうが適切ではないか、という議論があります。官僚が「主」で、政治家が「従」なのではない。あくまでも政治家が「主」で、官僚は「従」だ。そう考えると、「与党」という言葉は、まるで政治家がお客さまであるかのような響きがあり、おかしいのではないか、と。
 野党という言葉についても、民主党が誕生して間もないときに、「与(よ)党」でもない「野(や)党」でもない、「ゆ党」だ、揶揄されたことがある。現在も、例えば、特定秘密保護法、集団的自衛権に関する論議のとき、野党陣営が「一体になれない」とか「一枚岩になれない」からダメだという論調がおこる。安倍総理は、強行採決を乱発して、強権的な法律の制定をしたように見えたが、「建設的な野党とは協議をした、野党の一部とは話し合った」と言い逃れることができるような状況がある。維新の会、みんなの党、そして結いの党もそうかもしれないが、これらの政党は、本当に野党なのだろうか。
 維新の会は、そもそも橋下さんが党首になる前、安倍さんが自民党で総裁に返り咲く前に、安倍さんに党首をやってくれないかと呼びかけた。石原慎太郎さん、みんなの党、結いの党のメンバーも多くも、もともと自民党にいた。政策によっては自民党とまったく重なっている、あるいはもっと右に触れている。そういう政党を果たして野党と言うべきなのか。私は、「衛星政党」と言ったほうが正確だと思います。

――衛星政党。

中野:ソ連などの旧共産圏の政党制は、野党が「実質的には」存在せず、与党と「衛星政党」の存在が許されていた。もちろん、今の日本はそこまでではないが、ある意味、現在は、万年与党と万年野党の対立構造であった「55年体制」よりむしろ政権与党にとっては盤石な体制です。野党と言うよりは自民党の別動隊、「衛星政党」と言ったほうが正確な政党が多々ある。自民党は「暴走はしてません、建設野党とは話し合っています」と言って、実際には「内輪の議論」をして法案を通していくことができる。この状況は、今の日本の政党システムが議院内閣制の下でバランスを失していて、チェック機能を果たしていない状況にあると言えます。

――法的には政党間競争は許されていて、有権者は選挙で野党に投票することができる。現状は、国民の選択、「民意」なのでは。

中野:2つの大きな問題があります。一つは、メディアの争点の設定の仕方です。2012年の衆議院選挙が典型的でしたが、マスメディアはこぞって「第3極はどうなるか」と報じた。そのとき、第3の極として言われたのは、日本維新の会とみんなの党でした。
 そこに注目が行くと、民主党への支持が割れ、結果的には自民党が勝って、維新の会は伸び悩んだという総括がされています。メディアが、結果的には、かなり偏って客観的な状況を伝え、第3の極をあおった。自民党との距離の近さを検証をすることなく、あおり立てた。第3の極は、本当に第3と言えたのでしょうか。
 参議院選挙でも、具体的な政策についての争点を取り上げるより、「ねじれ国会が解消するか」を多くのメディアが争点として設定するという、かなり奇妙なことがあった。「決められない政治がいけない」、「ねじれは解消できるか」、と。当然、そうした争点設定は、有権者に対して一定の効果をもたらした可能性がある。「決められない政治」と「決められる政治」だったら、「決められる政治」のほうがいいじゃないか、と。そう考えた人は多いはずです。
 今となっては、「決められる政治」が「決めすぎる政治」とも言われるわけですから、メディアの争点の設定に問題がないかどうか、本来はもっと議論の対象になっていいものだと思います。
 もう1つ、選挙制度の歪みという問題がある。衆議院選挙においては、もちろん1票の格差の問題があります。そして、自民党の候補者の得票率は、全国的でみれば、比例では16パーセント程度しかない、つまり6人に1人ぐらいの日本人の有権者しか自民党に投票していないにもかかわらず、小選挙区制では圧勝できてしまうという状況がある。
 参議院選挙では、地方区、1人区という問題がある。ここでは自民党は楽に勝てる状況で、制度として、底が上げられています(※事実上の小選挙区制である1人区で大勝すれば選挙に勝てる)。これは今回に限ったことではなく、2010年の参議院選挙もそうでした。菅総理大臣の消費税増税の発言があって民主党が負け、「ねじれ」てしまった。総得票数では民主党のほうが上回っていましたが、結果は惨敗。これも、選挙制度、地方の1人区の問題なのです。参議院は自民党が、放っておいてもある程度勝てるというシステムなのです。
 メディアの争点の設定や、選挙制度の歪み。こうしたことにより、様々な争点が吸い上げられて利害の多様性が確保されるということがない。有権者は結果的に、まあ安倍さんしかいないのかな、と考える。ほかの政党もどうも頼りにならない、と。まあその通りなんですが……。いま、日本はこうした状況にあるのです。

最終更新:2016/1/24(日) 3:28
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