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<香港デモ>民主派「怒りの占拠」の背景は 民主主義がアイデンティティに /立教大学・倉田徹准教授

2014/10/5(日) 14:02配信

THE PAGE

 9月28日、香港行政長官の民主的な選挙を求める学生や市民が、香港の主要な繁華街や政府庁舎周辺で道路にあふれ、警察との激しい衝突の末に各地を占拠し、長期に及ぶ今回のデモが始まりました。近年香港の政治が国際的な注目を集める機会は多くなく、突然の事態は国際社会にも大きな衝撃を与えましたが、この爆発に至る火種は、実は少なくとも数年前から徐々に蓄積されていたのです。

【図表】中国と香港「一国二制度」は今どうなっているの?

北京政府による経済支援の副作用

 1997年、イギリスから中国に返還された香港は、返還直後からアジア金融危機や新型肺炎SARSの流行などの災難に見舞われました。不景気のどん底の2003年には、参加者50万人とも言われる大規模な反政府デモが発生し、香港市民の不満はピークに達しました。それを救ったのは北京の中央政府でした。「一国二制度」を理由に、北京は香港への干渉を控えていましたが、2003年以降は香港経済を救うべく、大陸から香港への観光旅行の規制を大幅に緩和したり、香港の金融機関の人民元業務を解禁したりと、香港との急速な経済融合へと政策を転換し、一旦は市民の不満を大きく緩和させることに成功しました。

 しかし、大陸からの大量のヒト・モノ・カネの流入は、香港に大きな副作用ももたらしました。今や年間のべ4000万人規模にまで増加した大陸からの観光客は、高級品から日用品、果てはマンションまで幅広く旺盛に購入し、香港の小売りと不動産の市場に活気をもたらしましたが、町の混雑や物価高などの原因となりました。経済成長率は悪くなく、失業もほぼ解消したものの、特に不動産価格・家賃を中心としたインフレが深刻で、収入の増加がそれに追いつかず、富裕層が大きく資産を増やす一方で、多くの一般庶民の生活の質はかえって低下したのです。

「ノンポリ経済都市」から「政治都市」へ

 また、香港の町と社会の様相は「中国化」と言われる急速な変化をとげました。観光客向けの商店が増え、人民元や北京語が巷にあふれ、香港市民の多くは自らの町が見知らぬ姿へと変貌していくことに危機感を持ちました。こうした副作用は最近5年ほどに急速に深刻化し、世論調査などでも2009年頃から、中央政府や大陸の人々に対する香港市民の感情が悪化に転じています。

 また、大陸経済に依存することは、香港市民のプライドを傷つけもしました。韓国・台湾・シンガポールとともにアジアNIEsの一角ともてはやされた香港は、かつては大陸に対して圧倒的に裕福な都市でしたが、近年は中国の急速な成長により、経済規模はもちろんのこと、一人あたりのGDPでも中国の先進都市が香港のレベルに迫っています。かつて貧しい大陸に対して裕福な香港を誇った香港人のプライドには、大いに傷がつけられました。

 しかし、「一国二制度」の下でデモや集会・言論などの自由、法の支配や(限定的ながら)民主主義は、香港が大陸よりもはるかに優れた状態を維持していました。経済力で「普通の都市」に転落した香港市民は、やがてこれらの価値を香港の特徴として誇るようになり、自由・法治・民主は、大陸とは異なる香港のアイデンティティを支える中心的な要素と見なされるようになりました。

 こうして、かつて「ノンポリ経済都市」とも評された香港は、急速に「政治都市」へと変貌して行ったのです。天安門事件追悼集会や、毎年返還記念日の民主化要求デモなど、恒例の抗議活動の参加者も、天安門事件20周年であった2009年頃から急速に増加しています。

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最終更新:2016/2/13(土) 3:07
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