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仏紙襲撃テロに見る「表現の自由」と「宗教の価値観」尊重のバランス 国際政治学者・六辻彰二

2015/1/22(木) 9:00配信

THE PAGE

 1月7日、フランスの週間紙シャルリ・エブドが襲撃されました。この事件をきっかけに、ヨーロッパ各国ではイスラム過激派の摘発が相次ぎ、緊張が高まっています。

【図表】激動の中東情勢 複雑に絡み合う対立の構図を整理する

 その一方で、この事件は「表現の自由」と宗教の尊厳をめぐる議論を呼びました。これまでにも、欧米諸国での風刺画、映画、小説がイスラムとの摩擦を生むことがありましたが、シャルリ・エブドもフランス政府や外国政府だけでなく、キリスト教、ユダヤ教、イスラムなどを揶揄する風刺画を掲載してきました。今回の事件は、同紙が(ムスリムの間で描写を禁じられている)イスラムの預言者ムハンマドの風刺画を再三掲載したことが、引き金になったとみられています。

仏テロをめぐる2つの論調

 今回の事件に関して、大きく二つの論調があります。一方には、テロを非難し、「普遍的な価値観」として表現の自由を優先させる立場があります。事件後にシャルリ・エブドを擁護したフランス政府をはじめ、欧米諸国の政府は概ねこちらに軸足があるといえます。1月11日にはパリで、160万人という空前の規模の「反テロと表現の自由」を強調するデモが行われました。米国の俳優ジョージ・クルーニー氏など、欧米圏の表現者、著名人の間にもシャルリ・エブドへの連帯を示す人は少なくありません。

 その一方で、テロを批判しながらも、宗教への風刺を慎むべきという立場があります。事件後、初めて発行されたシャルリ・エブドでムハンマドの風刺画が掲載されたことに、イスラム圏で批判が噴出。アルジェリアでは数千人のデモ隊の一部が暴徒化し、キリスト教会などが襲撃されました。1月15日には、やはりこれまでジャーナリストや芸術家との摩擦を経験してきたローマ・カトリック教会も、フランシスコ法王が「宗教を侮辱することはできない」と述べ、表現の自由にも限度があるという考えを示しました。

「弱者を解放する原理」としての表現の自由

 もともと風刺は、自由な発言が認められなかった時代に、演劇などを通じて権威や権力をユーモアやウィットをもって間接的に揶揄し、憂さを晴らすものとして発達しました。フランスで王政時代の1775年に劇作家カロン・ド・ボーマルシェが表した、貴族支配を揶揄する喜劇「セビリアの理髪師」が、当局の検閲にひっかかりながらも、当の貴族たちを含めて幅広い人気を博したことは、これを象徴します。

 その後、表現の自由や民主主義の発達とともに、風刺も規制の対象から外され、それにともない表現はより直接的になっていきました。フランスで新聞に風刺画が掲載されるようになったのはフランス革命(1789)後のことで、当時は後に断頭台に送られた国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネット、さらに旧体制支持者が多かったキリスト教聖職者などが、豚など動物の姿で描かれることも珍しくありませんでした。カトリック教会とフランスの風刺画の対立は、根深いものがあります。

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最終更新:2016/1/29(金) 3:41
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