ここから本文です

海外進出も・大阪名物串カツ発祥の店「だるま」 ── あの名物看板社長に聞く成功の秘訣

2015/3/31(火) 12:00配信

THE PAGE

 大阪のB級グルメの代表「串カツ」。新世界エリアには串カツ専門店が密集し、今や大阪を訪れる観光客にも大人気だ。この串カツ、大阪が発祥で、「ソースの二度づけ禁止」もすっかり有名になっている。そこで、新世界にある串カツ発祥店の「串かつだるま」を訪ねてみた。1929年創業で、今の串カツスタイルはほとんどここから生まれたと言っても過言ではない。昨年には安倍晋三首相が訪れ「ソースの二度づけ禁止」を注意したエピソードまである。三代目までは3坪12席の1店舗だったが、現在は国内に13店舗、海外に3店舗を構えるまでに。ここまで大きくした四代目会長兼社長は上山勝也さん(53)に成功の極意を聞いてみた。

CMで話題の赤井英和、ボクサー時代の忘れらない恩師

危機を救ったのはタレントの赤井英和さん

 串カツは、東京では「串揚げ」と呼ばれることも多いが、大阪の串カツは1本の串に1種類の具材が基本。すべてにおいて単品、1つの素材だ。さらにソースは共用のステンレス容器に入れられている。そのため、一度口にしたものを再度ソースにひたすのは衛生上好ましくないという理由で「ソースの二度づけ禁止」ルールが設けられた。なおキャベツは食べ放題。裏ワザで、再度ソースをつけたい場合に、このキャベツでソースをすくう方法もある。

 この串カツが生まれたのは1929年。かつて新世界の界隈には自由労働者などが多く、そういう人たちに安価な食べ物として初代女将が考案して提供したのが始まり。当時は今の「新世界総本店」に当たる1軒のみだったが、三代目大将の時代に閉店の危機があった。

 その危機を救ったのが、元プロボクサーで今はタレントとして活躍する赤井英和だ。学生時代から「だるま」の串カツをこよなく愛し続けてきた彼は、「この味をなくしてはイカン。発祥の名店は残さなければ」と立ち上がり、そして声をかけたのが浪速高校のボクシング部後輩の上山会長(当時はサラリーマン)だった。

赤井英和さんが「なぜか僕に継げということで」

 「僕は浪速高校のボクシング部で赤井さんと知り合った。学年は赤井さんが1こ上で、年は2つ上になる。後輩には、よしもとのタレントの和泉修もいてます。その頃、赤井さんの家に泊めてもらったりもしてたし、赤井さんは子供の頃からここの串カツを食べてた。僕は赤井さんに連れて行ってもらったのが最初ですね。飲食業の経験はなかったんですけど。なぜか僕に継げということで…」

 今から14年前の出来事だが、こうして上山会長は店での修業を経て「だるま」四代目社長に。その後の発展はとんとん拍子と言ってよく、現在は日本国内に13店舗、海外に3店舗を持つ。海外進出は昨年の5月にタイのバンコクに初めて初出店し、12月にはソウルに2店舗をオープンした。

 「まあ、えらそうなことは言えませんが、先代から受け継いだ味をそのまま残している。ですから、僕が開発したわけではない。逆に言うと、歴史ある味をいかにブラさず、そのまま後世に残すか。その味は変わることはないし、変えたらダメやと思ってます。それがひとつの信念です。海外進出は、僕の考えなんですけど、人口が20年後に1億人を切るようで、30年後に8000万人になると言われている。その後また増えるらしいけど。要は人口が減るということは居所がなくなる。僕は今のこの会社を世襲制はしないと公言している。今の若い人たちにこの会社を譲る、そういう考え方です。会社の歴史というものは50年でしょ。僕がやるまでは会社組織ではなくて、3坪12席の小さな店でした。それが会社組織になってここまで成長した。でも、日本の国自体が伸び代がそんなにないじゃないですか。我々がまだ元気なうちに、東南アジアへ進出していこう、今ならできる、と。そんな考え方のもと、苦労を覚悟で海外に進出しました」

1/3ページ

最終更新:2015/3/31(火) 23:25
THE PAGE