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「模擬原爆」投下から70年 大阪で投下の真相に迫る集い

2015/7/18(土) 19:01配信

THE PAGE

「模擬原爆」投下から70年 大阪で投下の真相に迫る集い THE PAGE大阪

 大阪の市民団体「非核の政府を求める大阪の会」は18日午後、「日本各地にパンプキン爆弾(模擬原爆)が落とされたのをあなたは知っていますか?」と題した集会を大阪市中央区のドーンセンターで開いた。これは1945年、広島と長崎に先立って模擬原爆が投下された地で、それらのことを研究する団体の交流、そしてなぜ落とされたのかを研究する工学博士を呼び、投下の真相に迫るという講演も行われた。また、1945年7月には大阪市内にも模擬原爆が落とされていることから、その当時を知る地元の人らが体験を話し、滋賀県内の博物館に置かれている模擬原爆の模型も展示されるなど、多くの来場者が模擬原爆の実態を見聞きした。

東住吉で「模擬原爆追悼式」。当時を知る人「この事実を語り継いで」

研究する工学博士が自ら調べたことを報告講演

 模擬原爆は、重さ5トンもある原子爆弾を目的の場所に投下させるか、米軍が1945年8月に広島・長崎に投下する前から日本各地で投下したもの。形は長崎に落とされたプルトニウム型爆弾「ファットマン」と同型だが、中身は爆薬がつめられていた。「パンプキン爆弾」と呼ばれているのは、形がカボチャに似ていることからだという。

 このような爆弾がなぜ投下されたのか。そして、その落とされた真相に迫ろうと、長年、模擬原爆などについて研究し「写真が語る原爆投下」「米軍の写真偵察と日本空襲」といった著書でも知られる工学博士の工藤洋三さんが「研究報告」という形で集まった大勢の人の前で発表。爆撃機B29が原爆投下後にその場所から自らも被ばくしないようすばやく逃れるために模擬原爆を落とし訓練していたことなどを説明した。

 また、自らが米国へ赴き、当時の関係者らに会うなどして調べたことや、原子爆弾がどこへ投下されようとしていたかなど、自らが入手した資料を使って真相に迫った。

田辺の模擬原爆、当時を知る元教師が体験語る

 また、49発のうち1発は、1945年7月26日に大阪市東住吉区田辺にも落とされており、その当時を知る同区の龍野繁子さん(90)が当時の様子を語った。

 龍野さんは1945年当時は中学校教諭として、生徒を田辺周辺の海軍ボタン製造工場へ勤労動員の生徒を引率。しかし、材料がなく仕事ができないため、別の部屋へ移動し授業をしようとした際に、工場に大きな石が飛んできた。

 「もし移動してなかったら・・・」移動前にいた場所に、両手でも抱えきれないほどの石が屋根などを突き破り落ちてきていた。後にそれは、現在の地下鉄田辺駅前に落とされた模擬原爆によって、爆心地そばの料亭にあった石が飛んできたものと分かったという。

 また、龍野さんの自宅も爆心地そばにあり、窓ガラスが割れるなどしたが母と姉は無事。だが、近所に住む姉の親友は自宅が爆心地そばだったため、吹き飛ばされて亡くなったという。龍野さんはそうした辛い体験を多くの人の前で話し、来場者がそれをじっと聞き入る光景が見られた。

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最終更新:2015/7/18(土) 19:42
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