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<高校野球>元プロ異色経歴監督。広島カープ魂で甲子園に旋風を!

2015/8/5(水) 11:00配信

THE PAGE

 夏の甲子園が、いよいよ6日に開幕するが、出場49校の中に波乱万丈の人生を歩んできた異色の元プロ野球経験者の監督がいる。母校でもある宮崎日大を18年ぶり2度目の甲子園へ導いた榊原聡一郎監督(52)だ。決勝戦で宮崎学園を13-0の大差で破って甲子園を決めると男泣きした。筆者は、広島の現役時代から彼の人柄を知るが、生真面目で涙もろく心優しき熱血漢である。

 久しぶりに電話をして甲子園出場を祝うと「僕は何もしていません。子供たちが、勝てると信じてよくついてきてくれました、よくがんばりました。甲子園では、気どらず今までやってきたことを出し切りたい」と、声を弾ませた。

「ほんとに苦労しました。焼肉屋から、野球学校、泥にまみれながら、サラリーマンの営業まで体験しました。皆さんにも迷惑をおかけしました」

 榊原監督の人生は、波乱万丈である。

 宮崎日大から将来の4番候補として、1980年にドラフト2位で広島に入団。途中、ダイエーにトレードされるなどしたが、内野、外野でプレーした。当たればとてつもなく打球が飛んでいくパワーヒッター。2軍では打点王、本塁打王までとったが安定感に欠き、1軍出場はわずかに36試合。それでもプロ初本塁打は、近鉄の左腕エース、阿波野秀幸から放っている。ほとんど2軍暮らしだったが、その真面目な性格と野球への取り組みの姿勢を当時2軍監督だった故・三村敏之氏に買われ、兼任コーチも含めると、1991年から2軍で3年間、コーチをした。

 その後ユニホームを脱ぐと、広島市内で焼肉店を18年間経営した。このときの牛肉の仕入れ先の関係で、宮崎日大とのつながりが復活するのだが、野球への情熱を捨て切れずに2005年からは「プロ養成野球専門学院」の校長に就任した。だが、あっという間に資金がショートして破綻。焼肉店も潰れるなど、榊原監督も多額の借金を背負い、今度はサラリーマンに転身。グリストラップと言われる下水の油分除去処理器を扱う会社で、まさに泥にまみれながら慣れない4年間の営業生活を過ごした。

 2013年に学生の指導者資格回復の制度が緩和されると、その第1回の講習を受けて指導者資格を回復した。縁があって、前述した宮崎日大の関係者から監督就任を打診されると、「ありがたいことに、また野球に情熱を注ぐことができる機会をいただいた」と、喜んで受諾。同大学の事務員となって、昨年8月1日から監督就任することになった。

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最終更新:2016/2/7(日) 3:37
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