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揺れた熊本。あの日、私は被災者になった

2016/4/19(火) 18:09配信

BuzzFeed Japan

「はあ、だるいなあ」

学校の課題に取り掛かろうとパソコンを開く。集中できずにテレビを見たり、スマホをいじったり。いつもの平日の夜だった。そんな時に、地震は襲いかかった。

熊本市東区で被災した亜梨沙さん(27)は、14日の最初の地震の際、自宅のリビングにいた。【伊藤大地 / BuzzFeed】

「どんときて、ひどいゆれが突然始まりました。1分ほど続いたように思います。食器が割れる音がしていました。混乱していたので、あまり詳しく覚えていません」

激しい揺れで、飾っていた写真が落ちてくる。身を守る気持ちの余裕すらない。ただひとつできたのは、机の端を力いっぱい握りしめること。

揺れが弱くなった。風呂に入っていた父に声をかけた。この時間の父は、いつもはパソコン部屋にいる。もし、たまたま風呂に入ってなかったら、頭の上にプリンタが落ちていたかもしれない。

「すぐにあがって! 洋服を着て!」。風呂場の父に叫ぶ。

家の中はぐちゃぐちゃだ。iPhoneの充電器と財布、家と父のクルマの鍵を持って外に出た。7階建てマンションの7階。エレベーターは止まっている。両親と一緒に階段で降りた。

「生きてるよ!」。外に出てまず、TwitterとFacebookに投稿する。見渡した街は、明るかった。停電にはならなかったようだ。倒れている建物もなかった。

「たぶん、私たちの家族がマンション住民の中では一番早く外に出ていたと思います。自動販売機の電気がついていて、ああ、水分の確保はできるなぁと」

父のクルマがある駐車場に、3人で向かう。建物が周りにない駐車場が安全だろう、そう判断した。クルマに入ると、自然と会話が始まった。だが、みんな混乱している。まともな家族会議にならない。

「母が『夢じゃないよね』という言葉を繰り返していた覚えがあります。わたしは『こわい、こわい』とずっと言ってました。そのあとようやく落ち着いて、ガソリンを入れよう! という話になりました」

ガソリンスタンドは閉まっていた。コンビニで水とアクエリアス、カップ麺を買い、駐車場へと戻る。倒壊こそまぬがれたが、家はぐちゃぐちゃだ。クルマの中で眠ることにした。

「しばらくぼーっとして、寝なきゃと思って目を閉じましたが、眠りにつけませんでした」

ずっとLINEをしていた。クラスメートは全員、無事だった。ようやく眠れたのは、午前4時。2時間ほど眠り、夜が明けると家に戻り片付けを始めた。幸い、マンションは傾きもヒビ割れもなかった。

地震が起きてすぐに、仕事の都合で彼氏が熊本入りしていた。その日の宿が取れていないという。迎えに行った。いつも人の多い熊本の街だが、ひと気はなかった。ガラスが散乱して、通れない道もあった。

彼を連れて、開いている銭湯を探し、風呂に入った。絶対会えないと思っていた彼に、会えたことが嬉しかった。

夜8時過ぎ、家に戻ると父がいた。思いがけないタイミングで、彼と父が初対面を迎えることになった。普段は「昔ながらの男」という感じの父が、この時ばかりは腰が低くなった。

「あぁ、どうもどうも。娘がお世話になって」。父は買ってきた焼き鳥を頬張りながら挨拶した。

「いつも亜梨沙ちゃんにごはんを作ってもらっていて…」。彼もなんとか話をつなぐ。会話は弾まない。

父親は「こんな時に熊本に来ないといけないなんて大変だね~、がんばってね」と彼をねぎらった。

彼と夕食を取りに出た。飲食店は、軒並み閉まっている。ラーメン屋「天下一品」に入った。客入りは半分ほど。店に入るなり、「ラーメンとライスしかない」と言われた。ラーメンの「こってり」を選んだ。

「ひさしぶりにたべるけど、おいしいねえ」。帰り道、コンビニに寄った。食べ物はあまりなかったが、ハーゲンダッツを4種類買った。

「すごくほっとしました」。少しだけ、いつもの生活が戻ったような気がした。その日は家で眠った。何度か余震があったが、落ち着いて眠れていた。

そして、午前1時25分頃。

最大震度6強。「本震」が熊本市を襲った。「ゴンっという揺れ」で目覚めた。木曜日の揺れより、大きく感じた。

「彼も飛び起きて、2人で叫びました。『うわああああああ』って」

少し安心したところに、大きな揺れ。グチャグチャになった家の中をウロウロし、「また最初からだ、また最初からだ」と泣きじゃくった。

「大丈夫、大丈夫」と彼がなだめた。前の地震では倒れなかった食器棚や電子レンジが、いまは横倒しになっている。

余震が続くなか、両親の寝室に向かった。ドアの前は倒れた家具でふさがっていた。最悪のケースが頭をよぎったが、部屋から両親の声が聞こえた。よかった。彼が倒れた家具を乗り越え、両親の部屋のドアを開けた。

停電で、真っ暗になった。揺れは前の地震よりもひどい。マンションがどうなるのか不安になった。携帯、財布、鍵、水。再び、最低限のものだけ携えて、外に出る。全員、着の身着のまま。マンションの階段を下りながら叫んだ。

「パパ! ママ! 降りてきてる?!」

同じマンションの住民も前回とは様子が違った。みんな、混乱している。無言のまま、前夜と同じように駐車場へ向かった。クルマのエンジンをかけて、テレビで状況を確認する。

「こんな大きな地震が、また来るのか」「安心しすぎた…」。クルマの中で話し合う。1メートルだが、津波警報が出ていた。父の仕事場は天草。海が近い。心配だった。

彼は、会社に向かわなければならない。クルマを走らせる。

暗い。

街灯はほとんど消えている。機能している信号もまばらだ。崩れた街灯やブロックが目に付いた。クルマも多い。事故にならないよう、ゆっくりと母が運転する。大きな交差点では警官が誘導していた。

「こわかったです。暗闇がこんなにこわいものと、はじめて気付きました」

彼を送り届けた後、近所の湖東中学校に向かった。すでにたくさんのクルマが停まり、体育館には被災した人が集まっていた。

「毛布が配られていたみたいです。みなさん似たような毛布をかぶっていたので。うちは、クルマで寝るために毛布を持って行ったので、もらいませんでした」

水や食料の配給はない。まだ、避難所として機能していなかった。遅くに来た知り合いは、場所がないと嘆いた。体育館は、窮屈だった。

結局その夜は、中学校の校庭に停めたクルマで過ごした。夜は少し冷えた。

「体育館にいるとプライベートな空間がないので、クルマの方が楽です。建物の中にいると怖いですし」

夜が明けた。

家に戻り、充電コードや着替え、靴、厚手の毛布、布団、パンを持ち出す。クルマの中での避難生活のための、最低限の荷物。

「これからシンプルな暮らしをしようよ」。母が言った。

「うちの家族は物を捨てきれないとか、余分なものを買いすぎるとか、そういう生活を見直さなきゃって。今回の地震があってから、家族がそろうたびにその話になります」

2011年3月11日は、東京にいた。津波。原発事故。直接被害を受けたわけではないが、震災後に東京を覆った「暗さ」が印象に残っている。

「3.11に比べたら、まだマシなのかもしれない」。そう思った。

今、熊本で「被災者」になった。だが、あの時のように津波も原発事故もない。

家族の誰からともなく、「3.11で被害に遭った人たちは本当に大変だっただろうな」と漏れた。

まさか、自分たちがこんな災害に遭うとは。2度も大きく揺れるとは。災害はいつ、どこで起こるかわからないと、頭ではわかってたのに。

停電は続いている。日暮れとともに、今日もクルマの中で眠りにつく。

いま、亜梨沙さんはこう考えている。

「大袈裟すぎるかもしれないけど、災害を含めて、これが日常なんだなって」

彼女に聞き忘れた質問があった。

「地震を通じて、家族や彼への思いって変わった?」メッセージを送った。

すぐに、こう返ってきた。

「う~ん。あんまり!笑 大事な人たちにかわりないです」

最終更新:2016/4/19(火) 18:09
BuzzFeed Japan