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【都市化の残像】東京駅 日本人の心に染み付いた「明治=赤煉瓦」

2016/10/22(土) 11:00配信

THE PAGE

 「人間は都市化する動物である」。「しかしながら逆に、人間の心は、過去の記憶に満たされている」……。

都市化の残像

 建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんは、人が持つ都市化へ進む力と、それに抗い、過ぎ去った時代の残像を懐かしむ反対のベクトルに着目しています。この連載では、若山さんが、具体的に街並みと建築を取り上げながら、「都市化の残像」を掘り起こし、その意味をつづっていきます。

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 このごろガラス張りの建築が多いのは、熱負荷を改善する技術が発達したからである。「工事中」と嫌われていた打放しコンクリートが綺麗になったのは、安藤忠雄さんの功績である。

 東京駅に代表される明治の建築が赤煉瓦になったのには、夏目漱石の感覚も反映されている。

 「えっ」と思われるかもしれないが、この時代の建築と文学とは必ずしも無縁ではないのだ。ここでその「縁」を考えてみたい。

 
 「不思議なことに、この国には煉瓦が存在しない。何とか普及させたい」

 維新からまだ間もない東京の街を歩きながら、アイルランド生まれのT・J・ウォートルスは考えた。彼は建築家というより、武器商人グラバーのもとではたらいたこともある便利屋のような技術者であったが、すでに大阪造幣寮をギリシャ神殿風の列柱が並ぶ古典主義様式で設計し、日本の権力者たちにそれなりの信頼を得ていた。

 たしかに、明治になるまで、日本には煉瓦の建築がなかったのである。

 それは、珍しいことであった。

 世界でもっとも主要な建築材料は、石や木ではなく、土であり、煉瓦なのだ。日干しも含めれば煉瓦は、ユーラシア大陸にもアフリカ大陸にもアメリカ大陸(ヨーロッパ人以前の)にも、地球上ほぼ全域に分布している。中国でも庶民は煉瓦(「せん」と呼ぶ)あるいは土壁(「版築」など)の家に住む。東南アジアでは宗教建築を石と煉瓦でつくる。

 しかし日本には煉瓦が入らなかった。

 これは、建築に適した樹木が豊富であったという風土にもよるが、宗教建築が中国から来たことにもよる。一般に、住居が木造でも宗教建築は石造煉瓦造となる地域が多いのだが、中国では逆に、住居を煉瓦で、宗教建築を木でつくる傾向がある。日本は仏教を、東南アジア経由ではなく、中国経由で受け取ったため、住居ばかりでなく寺院も木造となったのだ。

 そしてこれだけの国に煉瓦の建築がないということが、アジアをまわってきたウォートルスには不思議であった。

 文明開化の世であるから、政府もまたヨーロッパのような煉瓦造を普及させることを試みる。

 明治5年、銀座大火の焼跡に煉瓦の街並みをつくることを決定し、設計をウォートルスに依頼した。彼は自ら煉瓦工場をつくってその建設にあたり、普及を試みる。明治10年に完成し、銀座から新橋にかけての一大煉瓦街ができあがった。今もその片鱗が残っている。

 だがこれは成功したとは言いがたい。衛生上の評判が悪く、空き家が多かった。いくつかの店舗が開業したが、次第に取り壊されて、関東大震災でほぼ消滅してしまったのである。この湿度の高い国において、人々は生活空間に木造を選択しがちであり、煉瓦の普及は簡単ではなかった。風土というものだ。

 その後、ウォートルスは、アメリカに渡って、コロラドの銀山を発見し大成功したという。チャレンジ精神の旺盛な人物だったのだろう。

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最終更新:2017/6/13(火) 18:31
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