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日本の人口減少は4度目だった……今回は「未曾有」 なぜ人が増加しないのか

2016/11/14(月) 12:00配信

THE PAGE

人口変動の背景:文明システムの転換

 世界人口はそれぞれの時代の人口大国に引きずられる傾向があるし、グローバル化以前には各地域は独自の動きをした可能性があるので簡単に原因を言うことはできない。後漢の滅亡とローマ帝国の東西分裂の時代、モンゴル帝国の誕生・崩壊とルネッサンスの開始、ヨーロッパの三十年戦争と明滅亡など、社会の大きな変動が起きた時代であるようだ。

 日本列島の場合は島国であるだけに、人口変化はもっと明瞭である。すぐに思いつくのは気候変動である。縄文中期以降、日本周辺は気候寒冷化が進んだ。平安から鎌倉時代は、ヨーロッパでは中世温暖期と呼ばれる時代だったが、日本でも温暖化とともに乾燥化によって干害が頻発した。江戸時代中期から後期にかけては、世界的な「小氷期」で、夏季の気温低下や霖雨によって凶作が多発したことが明らかである。新しい感染症の侵入なども人口停滞化の原因として説明されることもある。

 確かに人口停滞期に気候変動や新興感染症の影響が大きかったことは無視できない。しかし本質的な原因として、人口が日本列島のもっている人口支持力の上限に接近するようになった時代に、人口増加が停止させられたと見るべきではないかと考えている。

 詳しく解説しよう。生活が狩猟・採集・漁撈によって成り立っていた縄文時代には、主要な食料資源は栗、胡桃、栃、ドングリなどの堅果類、サケ、マスなど河川を遡上する魚類、海の魚介類などだった。人口は、他の動物と同様に生態系の生産力によって規制されていたのである。したがって、縄文時代中期以降に寒冷化が起きると、気候変動の影響を直接的に受けざるをえなかった。

 稲作が導入された弥生時代以降、耕地、水、肥料となる草、燃料となる森林などの環境資源の賦存量が人口支持力の大きさを決定した。しかし平安時代から鎌倉時代にかけて荘園・公領制が一般的に成立し、気候変動が重なると、人口増加は減退した。その後、室町時代から戦国時代にかけて農業社会に市場経済が浸透するにしたがって、経済的インセンティブが働いて農民の生産意欲が高まった。これに戦国大名の富国強兵策が加わって耕地と生産量が拡大したが、本質的には土地に依存する農業社会であることに変わりはなかった。元禄期を過ぎると、人口増加は停止した。

 江戸時代の人口は小氷期を抜け出す幕末の頃から増加に転じたとみられる。20世紀になって産業化が進み、1次エネルギーが生物(薪、炭、牛馬、人力)や自然力(水、風)に代わって、水力(電力)、石炭、石油、天然ガスに移行すると、一見、無制限であるかのように経済成長と人口増加が持続したのである。

 このように、一つの時代を形作っていた生活様式、人類学者梅棹忠夫の概念を借用するなら「文明システム」の下で、人口は増加し、やがて固有の人口支持力の限界に達すると人口増加が停止した。経済と人口の量的な拡大が困難な「成熟社会」の到来である。まさにT.R.マルサスが『人口論』で論じた通りの現象が繰り返されてきたのである。

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最終更新:10/3(水) 14:20
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