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格言従いブリヂストンは命拾い もうけは公共施設に寄付 田附政次郎(下)

2016/11/25(金) 15:00配信 有料

THE PAGE

田附政次郎(たづけまさじろう)が、「真の相場師」と呼ばれるゆえんは、心の底から取引を楽しみに愛したということと、私利私欲に走らず、相場でもうけたお金を公共施設などに寄付をしたことにあります。大阪の北野病院は当時から庶民のための病院といわれ親しまれています。育英事業にも関心が高く帝塚山学院などに資金を提供しました。

 また、現在にも通用する多くの相場格言や突然訪れた最期について市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  大正9年の恐慌下、田附の相場格言に従ったブリジヂストンは命拾い

 田附政次郎は田附商店社長であると同時に相場師でもあった。田附商店では現物の糸を販売するとともに先物売買を行っていた。田附が偉いのは自分の建玉と田附商店の建玉をきちんと分けていたことだ。当時の仲買人はみな相場師を兼ねていて、自己の玉と店の玉を混同する例がしばしばあったという。ひどいのは、もうけは自分の懐に入れ損は店の勘定にするといったことが平然と行われていたらしい。これでは店主は負け知らずで膨れ上がり、店はほどなく閉店と相成る始末。

 宮本又次の『大阪商人太平記』はこう記している。

 「田附商店の仲買部は店の玉だけを扱い、思惑的な張り方は一切させず、つなぎ売買だけしかさせない。そして自分は、八田商店などを機関店にして、店のなん十倍かの投機玉を建てた。そして店の奥のガラス張りの別室に閉じこもり、そこから取引先の仲買店に指令した」

 田附は数々の相場格言を残している。「知ったらしまい」「余りものに値なし」「売るべし、買うべし、休むべし」「熟柿触るれば落つるほかなし」「逆ザヤ売るべからず」……など、今日の相場金言集には田附の数多くの名言が収められている。それは、没後80年たっても色あせることない相場の神髄を突いているからであろう。そして田附はこう断言する。

 「余は断じて幸運を信じない。成果はすべて研究と努力の結晶である」

 田附は大正10年、田附商店を株式会社に組織変更し、みずから社長に就任する。一方で多くの事業会社の役員を兼ねた。大和紡、大阪紡、京都電鉄、和泉紡、山陽紡、日東捺染、東洋農業等々。

 ブリヂストンの創業者、石橋正二郎の伝記「創業者・石橋正二郎」(小島直記著)にも田附が登場する。ブリヂストンは当時「日本足袋」という足袋会社で、田附商店とは取引関係があった。本文:2,393文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:12/6(水) 12:20
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