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江戸の下世話なタブロイド紙、かわら版 しつこく明治期まで生き延びる

2016/11/15(火) 17:00配信 有料

THE PAGE

江戸時代の庶民の情報源や娯楽として、親しまれていたかわら版。200年もの間、法の目をすり抜けて生き延びてきたものの、明治期に入ると政府の厳しい出版統制を受けることになります。しかし、そんなことでは簡単にくじけず、庶民の「知りたい」気持ちを支えていきました。江戸時代以降は姿を変え、明治頃まで存続したと言われるかわら版晩年の姿を大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説します。


  かわら版の正統な後継者=錦絵新聞

 センセーショナルな事件や、有名人のゴシップ。テレビのワイドショーやタブロイド紙は、これらに埋め尽くされている。現代人は、よほど下世話な話が好きらしい。

 いや、その物言いは正しくない。今も昔も、人間とは、そういった事柄に興味を抑えられない生き物なのだ。その証拠に、150年以上前の江戸時代に発行されたかわら版だって、ひたすらに下世話なのである。かわら版は、いわば当時のワイドショーであり、タブロイド紙だった。だから、嘘もあったし、大袈裟に書き立てるし、何より紛らわしい。しかし同時に、最高のエンターテインメントでもあった。かわら版屋は、いつも「庶民が何に興味を持っているか」を、研究していたからである。

 しかし、江戸時代が終わった後、かわら版はどうなったのだろうか。怪しくて、愉快な読売たちは、絶滅してしまったのだろうか。実は、かわら版はそんなに弱々しくなかった。明治に入って新聞が発行されるようになった頃も、やはり街角には、読売が立っていた。江戸時代と違っていたのは、彼らの多く(全員ではない)が素顔をさらしていたことだけである。

 さらに、かわら版は自身が生き長らえただけではなく、直系の「後継者」までも生み出していた。その一つが、明治初期に一世を風靡した「錦絵新聞」である。

 冒頭に掲載した錦絵版『東京日日新聞』(第1号)は、1874(明治7)年に発行された。同じ名前だが、1872(明治5)年に創刊された日刊紙『東京日日新聞』(『毎日新聞』の前身)とは違う。錦絵版『東京日日新聞』は、同名日刊紙の記事を選り抜いて、一枚の浮世絵に仕立てた商品なのである。つまり、厳密には新聞ではない。文字も添えられているが、主役は絵の方だった。

 錦絵新聞の題材に選ばれた記事は、かわら版と同じく、「庶民がお金を払ってでも読みたい」と予想されるものばかりだった。結果的に、刺激的な出来事のオンパレードである。まさに、かわら版の精神を受け継ぐ、下世話ながら、最高に面白い情報媒体だった。


  錦絵新聞の内容

  ちなみに、錦絵版『東京日日新聞』に記載された「号数」は、錦絵新聞としてのものではなく、元記事が掲載されていた日刊紙版のものである。つまり、先ほど掲載した錦絵新聞は、日刊紙版の第1号にある記事から制作したもの、ということになる。錦絵新聞がどのような記事を好んだかを知るために、冒頭に掲載した一枚に書かれた内容を、簡単に紹介しておこう。

 これは現在の長野県長野市で起こった実際の事件である。病気の夫を看病しつつ、日々懸命に働いていた「せん」は、ある夜、道に迷っていた僧を家に招き入れた。夫のために読経を頼もうと思ってのことだったが、この僧がとんでもない輩だったのである。美女のせんを見て劣情を催し、手篭めにしようとしたが、せんは最後まで抵抗し、遂には殺されてしまった。後に、この悪僧は捕まり、亡くなった貞婦せんには弔慰金が払われたという。

 実に悲惨だが、現代でもワイドショーで大きく取り上げられそうな事件である。それを、落合芳幾(よしいく・1833~1904年)の派手な絵が盛り上げ、絵草紙屋で見掛けたら、ついつい買ってしまいそうな魅力ある商品に仕上げている。

※かわら版の画像(合計4点)は有料版にてご覧いただけます。本文:3,788文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:2016/11/15(火) 17:00
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