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和平合意をなぜ国民は拒否? 半世紀続くコロンビア内戦とは

2016/11/19(土) 19:00配信

THE PAGE

 南米コロンビアで10月2日、同国で52年間続いてきた内戦を終結させるため、反政府ゲリラ組織・コロンビア革命軍(FARC)と政府が結んだ和平合意を認めるかを問う国民投票が実施されました。その結果、反対が50.2パーセントでわずかに賛成を上回り、この和平合意は認められませんでした。

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 和平交渉を進めてきたサントス大統領は、その功績を認められて2016年のノーベル平和賞も受賞。しかし、海外からの評価とは裏腹に、サントス大統領は多くのコロンビア国民から拒絶されたことになります。

 なぜ、国民投票は否決されたのでしょうか。また、これによって南米最長といわれる内戦のゆくえはどうなるのでしょうか。コロンビア内戦と和平の試みの経緯をみていきます。

冷戦の「代理戦争」の側面も

 コロンビア内戦は1964年、共産主義ゲリラの蜂起で始まりました。中南米では地主制が残り、また米国の大きな経済的影響力があることから、その反動で冷戦期には共産主義ゲリラが各国で台頭しました。1959年のキューバ革命は、その一つの象徴でした。

 この背景のもと、コロンビアではFARCや国民解放軍(NLA)などの共産主義ゲリラ組織が、ソ連やキューバの支援によって相次いで誕生。これに対して、米国から支援を受けたコロンビア軍は徹底抗戦で臨みました。コロンビア内戦には、冷戦期の「代理戦争」の一つとしての顔もあったのです。

 ところが、1989年に東西冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊すると、FARCなど共産主義ゲリラは外部からの支援が乏しくなりました。その期を捉えたコロンビア政府は、武装組織「4月19日運動」との1991年の和平合意を皮切りに、共産主義ゲリラ組織との戦闘を段階的に終結させていきました。

強硬な前政権下でFARC弱体化

 他のゲリラ組織が相次いで戦闘を放棄するなか、FARCとの和平合意は難航しました。1999年から2002年にかけて、アランゴ大統領のもとでコロンビア政府はFARCと交渉を進め、非武装地帯の創設などで合意。しかし、それ以上の合意はできず、非武装地帯はむしろFARCによって人質の拘留や兵員の訓練などに利用されてしまい、結局この和平合意は頓挫したのです。

 FARCが抵抗を続けられた背景には、麻薬の生産・販売がありました。海外からの支援の減少にともない、FARCは農民にコカインの原料となるコカを生産させ、その密輸によって資金を調達し始めたのです。麻薬によって武装活動が支えられる構図は、アフガニスタンのタリバンになぞらえられることもあります。「経済的に自立」したFARCは、和平交渉の最中にも攻撃を一方的に再開するなど、戦闘を放棄する様子をみせませんでした。

 これに対して、2002年の大統領選挙で勝利して就任したウリベ大統領は、FARCを「テロリスト」と位置づけ、これに対する強硬姿勢を鮮明にしました。軍や警察による厳しい取り締まりで、FARCの勢力は低下。コロンビアのヌエバ・グラナダ軍事大学の研究によると、2002年に2万人以上いたFARCメンバーは2010年までに約8000人にまで落ち込み、この期間に市民を標的とした誘拐なども減少しました。

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最終更新:2016/11/19(土) 19:07
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