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「私は地獄に落ちるだろう」 世界を揺るがした革命家、フィデル・カストロが語った苦痛

BuzzFeed Japan 2016/11/27(日) 6:10配信

キューバ革命を成功に導いた革命家であり、キューバのカリスマ、フィデル・カストロ氏が11月25日(現地時間)亡くなった。90歳だった。1959年1月の革命から約半世紀、幾多の政治的危機を乗り越えてきたカストロが、生前、こんな言葉を遺している。

【写真】革命の同志や冷戦時代の指導者とともに。フィデル・カストロの生涯

「資本家どもとともに私は地獄に落ち、マルクスやエンゲルス、レーニンに会いまみえるであろう。地獄の熱さなど、実現することのない理想を持ち続けた苦痛に比べればなんでもない」(宮本信生「カストロ」中公新書)

20世紀に生まれた壮大な実験、それが国民全員の平等を理想に掲げた社会主義だ。カストロもまた、社会主義の可能性にかけた政治家であり、革命家の一人である。なぜ、彼は自分が地獄に落ちる、と語ったのだろうか。【石戸諭 / BuzzFeed Japan】

裕福な家に生まれたカストロ

「カストロ」など著作、資料をもとにその生涯を辿ってみよう。
カストロは地方の中級地主の家に生まれた。中級といっても、砂糖黍栽培とアメリカ企業との取引で潤ったその暮らしは、裕福そのものだった。カストロ家の所有地には、300世帯とも言われる使用人が小屋を建てて住み、カストロの生家は、部屋数20を超えるという豪邸だった。
当時のキューバはアメリカの圧倒的な影響下にあった。駐キューバ大使を務めた宮本信生氏は「(カストロ以前の)キューバの政治はワシントンで決まり、経済はニューヨークで決まった」と表現する。

カストロは名門ハバナ大学に進学。法律を学びながら、徐々に社会主義の思想に足を踏み入れていく。学生時代に結婚しており、新婚旅行の行き先は、皮肉なことだが、後に敵対することになるアメリカだった。大きなアメ車を購入して、喜んでいたという。

弁護士として開業したカストロに転機が訪れる。親米派の将軍バティスタがクーデターによって、大統領に就任したのだ。カストロが立候補を予定していた選挙は中止となった。

「歴史は私に無罪を宣告するであろう」

キューバの歴史を紐解くと、1492年のコロンブス到達以降、スペインの植民地となり、1898年の米西戦争を経て、政治的、経済的にアメリカの影響下に置かれたことがわかる。
キューバ人の暮らしは常に貧しかった。さとうきびなどの農産物は買い上げられ、植民地状態が続く。何度もキューバ人が自主独立を目指しては、失敗に終わる。そんな歴史の繰り返しだった。

バティスタ政権の誕生で、自主独立はまたも遠のくのか。キューバ人がキューバのことを決める政治は実現できないのか。

カストロは弟のラウルらとともに武装闘争によるバティスタ政権打倒を決意する。1953年7月26日、最初の蜂起は失敗に終わり、カストロは拘束された。国家反逆罪に問われた裁判で彼はこう主張した。

「私を断罪せよ。それが問題ではない。歴史は私に無罪を宣告するであろう」

反バティスタ闘争の先頭にたった、カストロは15年の禁固刑を宣告されるも、恩赦をもとめる運動が起き、1955年5月に釈放されている。

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最終更新:2016/11/27(日) 13:20

BuzzFeed Japan

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