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戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場

2016/12/8(木) 10:50配信

BuzzFeed Japan

戦争で心を病み、70年以上が経っても入院したままの日本兵たちがいる。1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦。戦後は、今も続いている。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

絶望的な戦場に投入されて亡くなった日本軍兵士は、200万人以上。生き残った人たちも、身体や心に大きな傷を受けて帰国した。

兵士を苦しめた精神疾患

いまで言うPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされた元兵士も多かった。

なかでも、病院暮らしを余儀なくされ、社会復帰できないままになってしまった人たちの存在は、あまり知られていない。いまだに入院中の人だっているにもかかわらず、だ。

精神疾患などで入院した元兵員、8千人分のカルテを分析した埼玉大名誉教授の清水寛さんはBuzzFeed Newsの取材にこう語る。

「戦地の加害経験などによって精神を病んだ人たちは、『戦争神経症』と呼ばれました」

清水さんによると、敗戦直後までに入退院した日本陸軍の兵士は約2万9200人。その半分にあたる約1万450人が、さまざまな精神疾患に苦しんだ。

軍部は、国府台陸軍病院(千葉県)を中心にその対応に当たった。1940~45年にかけては、いまの東京都小平市など3カ所に療養所が設置されている。

それほど、兵士たちの精神疾患は重大な問題だったのだ。

子どもを殺した記憶

清水さんが分析した当時のカルテである「病床日誌」のうち、1372人が「戦争神経症」だった。カルテには、たとえばこんな記載がある。中国に派遣された30歳の男性だ。

“精神分裂病 昭和十九年二月八日病名決定

「同僚に悪口を云われる様な気がし 誰か跡をつけられて人に会ふのが恐ろしくなり……目や鼻のない坊主の姿が見へて来た」

「女や男の泣声が聞こえたり、聖徳太子の声も聞こえる」“

「まさにPTSDの症状だと言えます。私たちが戦争神経症と判断したうち、1割以上がこの症状でした」

なぜ、彼らは「戦争神経症」に悩まされたのか。清水さんは、6つの類型があると指摘する。

・戦闘恐怖(戦闘行動での恐怖・不安によるもの)
・戦闘消耗(行軍など、戦闘での疲労によるもの)
・軍隊不適応(軍隊生活への不適応によるもの)
・私的制裁(軍隊生活での私的制裁によるもの)
・自責念(軍事行動に対する自責の念によるもの)
・加害による罪責(加害行為に対する罪責感によるもの)

そうして、さまざまなトラウマに悩まされている兵士たちの姿が、カルテからは浮かび上がる。

「12歳くらいの子どもを突き殺した。かわいそうだと思ったことがいまでも頭にこびりついている」
「部落民を殺したのが脳裏に残っていて、悪夢にうなされる」
「子どもを殺したが、自分にも同じような子どもがあった」
「付近の住人を殺した。夢の中で殺した領民が恨めしそうに見てくる」

ただ、公的に残す資料であるカルテには、軍事機密としてそれらの言葉が載らない場合も多かった。日本軍が残虐行為をしたと、記録に残さないためだった。

「にもかかわらず、これほどの数が残されていた。ということは、それだけ多くの人たちがトラウマに悩まされていた証拠とも言えるのです」

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最終更新:2016/12/9(金) 2:00
BuzzFeed Japan