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“絵になる”かわら版 農民出身、北辰一刀流女剣士の敵討に江戸っ子大興奮

2016/12/13(火) 18:00配信

THE PAGE

農民出身の北辰一刀流女剣士、仇敵を斬る

 この御蔵前での敵討について語るためには、一旦、その6年前に遡らなければならない。

 1847(弘化4)年、常陸国(現在の茨城県)の河内郡上根本村で、一人の農民が突然死した。彼の名は、幸七。清廉潔白な人柄で、多くの仲間から慕われていた青年だった。だが、たった一人、彼を憎々しく思う男がいた。それは、名主の与右衛門である。

 与右衛門は、かつて年貢米の横領を疑われ、代官に告訴されたことがあった。その際、告訴者の代表となったのが、組頭の幸七だった。結局、証拠不十分で、与右衛門が罰せられることはなかったが、その勇気を讃えられ、村での幸七の存在感はさらに高まったという。

 面白くないのが、与右衛門である。激しく逆恨みした彼は、幸七を亡き者とする計画を立てる。それは、村の郷倉(年貢として上納する米の貯蔵庫)完成を祝う酒宴で、幸七の料理に毒を盛るというものだった。何も知らない幸七は、見事に与右衛門の罠にかかる。ただし、無念の死を遂げる直前、妹の「たか」を呼び寄せ、「自分は与右衛門に毒を盛られたに違いない」と伝えた。そして、息も絶え絶え、こう付け加えたという。

 「この恨みを、必ず晴らしてくれ」

 たかは、幸七の妹だけあって、芯の強い女性だった。幸七の死後、彼女は於玉ヶ池(現在の東京都千代田区岩本町)にある千葉周作(1794~1855年)の道場玄武館で、下女として働き始める。それは、北辰一刀流の創始者から、剣術を教わるためでもあった。彼女が、正式な弟子入りが認められたかどうかは、記録にない。確かなことは、時間の経過と共に、たかが確実に剣の腕を上達させた、ということのみである。

 それから6年の歳月が流れた。ある日、たかの元に、与右衛門が仕事で江戸に出てくるという情報が舞い込む。そして運命の、1853(嘉永6)年11月28日。帯刀のたかは、御蔵前で、憎き仇敵と対面する。与右衛門も農民だが、脇差を携行していた。しかし、それを見ても、たかに迷いはなかった。

 決闘が終わったとき、立っていたのは、たかだった。6年もの間、当時最強だった剣客の側に仕えていた彼女は、この時点で立派な剣士となっていたのである。叔父の手助けがあったという説もあるが、それにしても、若い女性が決闘の末、仇敵を斬り倒したという事例は決して多くない。

 女性によるもので、しかも武士ではなく、農民の敵討。加えて、討ち手は北辰一刀流とくるのだから、これが評判にならない方が不思議だろう。

 しかし、この事件の結末は決して明るくない。殺人罪で逮捕され、取調べのために拘留されている間に、まるで精も根も尽きたかのように、たかは病死するのである。同時に捕まった叔父も、後に牢死する。敵討はどれも、悲劇に満ちている。

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最終更新:2016/12/13(火) 18:00
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