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この日本で、国に自由も家族も奪われた人たちがいる。絵筆に託された私たちへのメッセージ

2016/12/24(土) 6:00配信

BuzzFeed Japan

ハンセン病。日本には、たった20年前の1996年まで存在した「らい予防法」に基づき、この病にかかった患者たちを、無理やりに社会から隔離した歴史がある。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

【写真】入所者の人たちが描いた作品たちと、その思い

多くは家族の元を引き離され、塀に囲まれた隔離施設に収容された。死ぬまでその中で暮らし続けないといけない運命を、国に決められた。子どもができたのに、病を理由に中絶させられる夫婦たちもいた。

怒り、悲しみ、そして仲間たちと見出した喜び。「塀の中」で抱えてきた様々な思いを、絵筆に向けた人たちがいる。国内最大の療養所「菊池恵楓園」(熊本県)にある絵画クラブ「金陽会」のメンバーたちだ。

BuzzFeed Newsは、それぞれの作品を紹介しながら、クラブの活動を振り返る。

日本は長年国策として、ハンセン病を患った人たちを全国各地の「療養所」に隔離してきた。後遺症で手足や顔が変形してしまうことに加え、「移る病気」という間違った認識が一般的だったからだ。

戦後、ハンセン病は薬によって治る病気となった。それでも患者たちは、療養所の外で暮らすことも故郷に帰ることも、許されなかった。親戚に影響が及ばないよう、偽名(園名)を名乗らされた。

「病が移るのを防ぐため」として子どもを作ることは許されず、堕胎や断種(パイプカット)を強いられた人たちも多い。たとえ病が治っていても、だ。

国の「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によると、1949年から96年までハンセン病を理由に不妊手術をされた男女は1551人。堕胎手術の数は、7696件に及ぶ。

隔離政策を定めていた「らい予防法」は96年に廃止された。しかし、荼毘に付された入所者の遺骨を誰も取りに来ない、といったことは後を絶たない。骨になっても帰ることができない。ハンセン病差別がいまも、社会に根付いていることを示す悲しい証拠だ。

金陽会は、そんな療養所で暮らす人たちが始めたサークル活動の一環だ。会が発足したのは1953年。絵が好きだった入所者たちが集まり、毎週金曜日に細々とみんなで作品をつくり続けてきた。園内の文化祭などで発表していたという。

多い時には15人ほどの会員がいたが、ほとんどの人たちが亡くなったり、高齢化により筆を握ることができなくなったりしてしまった。いまも活動を続けているのは、1929年生まれの吉山安彦さんだけだ。

吉山さんは17歳から今まで70年近く園に身を置き、絵筆を執り続けてきた。

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最終更新:2016/12/24(土) 20:59
BuzzFeed Japan