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「妊娠できなくなるかも」 厳しい現実を前に、25歳の私が決意したこと

2016/12/28(水) 14:09配信

BuzzFeed Japan

ひどい子宮内膜症のため、様々な治療を試していた25歳の私。更年期を誘発する治療法を提案されたとき、私はうろたえずに、それを最良の選択肢として受け入れた。
【Lucy Pasha-Robinson / BuzzFeed Japan News】

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私はいつも心のどこかで、自分の生理は何かおかしいと分かっていた。不規則で1日目から痛みがひどく、放散痛が太ももにまで出て、ズボンが履けないほど足がむくんだ。鮮明に覚えているのは、子どもの頃、暑い夏の日にラウンダーズ(野球に似たイギリスのスポーツ)のピッチにいたときのことだ。紺色のズボンにまで経血が染み込んでいることに気づいた私は、どうやってその場を切り抜けようかと必死に考えた。

主治医は私にピルを処方した。それに続く5年間は、我慢できる程度に症状を抑えてくれる薬はないかと、いろいろなメーカーのものを次々試した。混合ピル、ミニピル、高用量ピル。どれも効いているとは思えなかった。最悪だったのは、黄体ホルモンだけの高用量ピルで、3カ月分の生理が来たかというほど出血し、ずっと終わらないのではないかと本気で心配した。19歳の時には、もうたくさんだと思った。体重は13kg近く増え、惨めだった。そこでピルをやめることにした。自分の自然のサイクルを何らかの形で管理すれば、うまくいくのではないかと考えたのだ。

しかし、続く5年間は、もはやピルが現実を隠してはくれず、症状は悪化した。生理はいつも一緒だった。大学生活、就職、パリへの移住、恋愛といった人生の冒険に、いつもついてきた。2014年の終わりには、生理痛はかなりひどくなっていて、私のパートナーは、体を丸めて吐き気と激しい震えに苦しむ私を見慣れてしまっていた。一度は、救急外来に連れて行ってくれたこともあった。

ずっと医者に通い続けていた私は、24歳のとき、初めて腹腔鏡検査を受けた。答えを模索し始めてから10年後、ついに病名が分かった。子宮内膜症だった。

この病気は第1段階(軽度)から第4段階(重度)にまで分類される。医者は私が最も深刻な段階にあると診断した。子宮内膜が子宮の外で成長し、ほかの器官にくっついて、嚢胞や癒着を起こしているということだった。大きな嚢胞が右の卵巣内で大きくなっていて、高度な瘢痕や損傷を残していた。手術をしなかったらおそらく破裂していただろう。あちこちにあった病変は、手術で慎重に切除された。

腹腔鏡検査の翌月は辛かった。体は治ったけれど、精神状態は悪化していたのだ。私は頭の中の叫びを無視することができなかった。「赤ちゃんを産めなかったらどうしよう」。子どもを産めないかもしれないという考えは、ときに重くのしかかり、胸が苦しくなるほどだった。

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最終更新:2016/12/28(水) 14:34
BuzzFeed Japan