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私の兄は障害者。でも彼は「かわいそうなお話」ではない

2016/12/31(土) 19:15配信

BuzzFeed Japan

私の兄は障害者だ。その事実を誰かに指摘されたことはないが、説明しなければならない状況になることは、しょっちゅうある。
【Anne Suslak / BuzzFeed Japan】

兄弟か姉妹はいるかと訊かれたら、私は「兄がひとりいる」と答える。歳を訊かれたら、双子だと答える。そう答えると、聞き手はすぐに興奮する。同じ学校に行ったのか、同じ顔をしているのか、テレパシーで意思疎通ができるのか、といったことを知りたがるのだ。

でも、兄が重度の障害者であることを告げると、会話がぎこちなくなる(「大きな障害」を表すのに、「重度」よりもいい言葉があればいいのにと、いつも思う)。教師たちは黙りこみ、その場を離れる。顔見知り程度の友人なら、それが自分のせいだとでも言うように謝る。たいていの人は、そもそもそんな質問をしてしまったのを気まずく思っているような顔をする。まるで、私がものすごく個人的な家族の悲劇を告白したかのような。

一番ありがたいのは、次々と質問をしてくる、好奇心のとても強い人たちだ。もっと知りたいという欲求が、気まずさに勝るのだ。私が逆の立場に置かれたら、臆病すぎてその手の人にはなれないだろう。けれど、彼らが会話を続けてくれるのはとてもありがたい。普段の私なら、自信たっぷりの人には少し押され気味になってしまうのだが、兄のことを果敢に質問してくれる人には、そんなふうには感じない。

兄の名前はジャック。私たち双子は予定日より11週間早く生まれた。ジャックの体重は約1420グラム、私の体重は約1190グラム。出産の数日後、ジャックは脳出血を起こし、脳性まひ、水頭症(脳に液体がたまる症状)、てんかんを抱えることになった。ジャックは歩くことも、話すことも、見たものを解釈することもできない。

両親にとって、それを知るのはつらい体験だったにちがいないが、私はそのときのことを何も覚えていない。いまと違う状況を、私は知らない。物心ついたときから、うちの外には、いつも障害者用の駐車スペースがあった。飛行機に乗るときには、いつも先頭に並んでいた。そしていつでも、ジャックを楽しませるためのたわいもない家族の習慣があった。

幼いころのジャックは、車が赤信号で停まると、よく叫び声をあげていた。だから私たち家族は、ジャックが笑い出すまで、「赤信号だよジャック! 赤信号だよジャック!」と歌ったものだ。ジャックは泣き出しそうになると、少なくとも1分は下唇を突き出したままでいる。そんなときは、「その唇をしまってよ、ジャック」の歌の出番だ。

食事の時間には、ジャックを退屈させないように、クイズをしたり、アルファベットを使った言葉遊びをしたりする。我が家を訪ねてきた親戚や友人も、それに巻きこまれる。初めて我が家にやってきた人が、Qで始まるフィクションの登場人物名を思いつこうと奮闘するのだ。ジャックがいなければ、我が家の来客たちとの交流が、いまよりもずっと退屈なものになっていたのはまちがいないだろう。

子どものころ、障害のあるきょうだいを持つ子の視点から描かれた2冊の本を読んだ。どちらの本も、私の体験を映し出してはいなかった。そのうちの1冊では、障害のある弟が2歳で死んでしまう。もちろん、そんなこともある。私の身にだってじゅうぶん起こりえたことだ。唯一、実際とはかけ離れていると感じた部分は、主人公の学校の友人たちが、弟に生まれつき障害があると知ったとたんに、主人公をからかうようになったことだ。この本が出版された1988年と比べて時代が変わったのかもしれないが、1992年以降の私の子ども時代の友人たちは、良い子ならジャックに親切で、悪くても無関心なだけだった。

もう1冊の本では、障害のある姉に会わせたくないからという理由で、主人公が友人を家に招くのを気まずく思っていた。それも本当のこととは思えなかった。障害のある姉は主人公より年上なのだから、主人公にとって、その姉がいるのはあたりまえのことだったはずだ。私の友人たちは、ほとんど全員がずっと前にジャックに会っているので、私はそのときのことを覚えていない。そして、大学の友人にジャックを紹介するころには、みんなおとなで分別があるはずだと思えるようになっていた。

だからといって、子ども時代の私に、ジャックにまつわる負の経験がまったくなかったと言っているわけではない。友人たちが兄弟姉妹と遊んでいるのを見て、妬ましく思うことはしょっちゅうだった。10歳のころには、友人の家に泊まりに行ったときに、友人が妹の顔を蹴っているのを見て、私も友人を蹴ってみたことがあった。そんなことをしたのは、幸運にも障害のないきょうだいを持つ人が、いったいなぜそんなふうにきょうだいを痛めつけたいと思うのか、理解できなかったからだ。いまではよくわかる。私には、その友人や妹と同じようにジャックと喧嘩をする理由が、まったくなかったのだ。

私とジャックのあいだには、両親の注目をめぐる争いは一度もなかった。ダイヤルアップ接続しかなかった時代に、インターネットを使う順番で言い争いになったこともない。持ち物をめぐる喧嘩も、学校の成績の競争もなかった。ジャックと私が比較されることはない。なぜなら、私たちは同じ尺度では測れないからだ。両親が私たちを等しく愛してくれていると、私は信じている(少なくとも、私が訊いたら母はそう答えた)。私が何かを成し遂げたからといって、それがジャックの至らなさと見なされたりはしないのだ。

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最終更新:2016/12/31(土) 19:30
BuzzFeed Japan