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「私だけ生き延びている」 AIDSで死ぬことを前提に生きていた男性が向き合う老い

1/2(月) 14:05配信

BuzzFeed Japan

20年前、革命的な新薬がHIV/AIDS治療の転換点となり、死の淵から生還した人たちがいる。 第二の人生を生きるとはどういうことなのか。3人に聞いた。全3章の第2章。
【Patrick Strudwick / BuzzFeed Japan News】

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ロブ(ロバート)・ジェイムズのブラックジョークはこれ以上ないほど強烈だ。しかも、心地よい笑い声を伴う。

バーナードの自宅からわずか数ブロックの場所にあるアパートの地下に暮らしているジェイムズは、食卓の椅子に座りながら、「私は異性愛者だ。AIDSのブリーダーだよ!」と甲高い声でジョークを言う。テーブルの上には、書類と薬が散乱している。ジェイムズは歩くとき、杖を使用する。踊るように動く眉毛、年季が入ったちゃめっ気のある笑顔、甲高い声がコメディアンのエディー・イザードを思い起こさせる。

ジェイムズは1985年、19歳のときにHIVと診断された。イングランドのサマセットに家族と暮らしていた時だ。ちょうど大学に入る直前で、ジェイムズは女性との出会いを期待していた。

「世界最悪の病気と診断されるには最高のタイミングだった。セックスしたガールフレンドを次々と殺してしまうのだから」。外の空気を凍らせてしまうくらい痛烈な皮肉だった。「実に最高のタイミングだ」

ジェイムズはもともと血友病を患っていた。血液の凝固を阻害する遺伝病だ。ジェイムズの場合は体内での出血が中心で、痛みを伴う内出血によって関節が損傷を受けていた。
献血の検査が始まる1985年まで、HIVが混入した血液製剤が出回っていた。ジェイムズは長年にわたり、血液凝固因子を含む血漿(けっしょう)製剤を数日おきに自分で注射していた。血液製剤は不特定多数の血液を原料とする。

「2万人の病気を濃縮したものを多くの患者が注射していたんだよ!」。ジェイムズは大きな声で皮肉を言った。

ジェイムズはC型肝炎にも感染した。C型肝炎ウイルスには多様な「遺伝子型」がある。ジェイムズは複数の遺伝子型を持つ難治性の肝炎だった。

ジェイムズはHIVと診断されたときのことを次のように振り返る。「父親に付き添われて病院に行くと、伝えなければならないことがあると医師は言った。残念だが、血液検査をしたら、HTLV-IIIが見付かった。そういう内容だった」。医学界がHIVという呼称を採用する1年前の出来事だ。

医師はジェイムズに余命を伝えなかった。本当に知らなかったためだ。当時は約3年と言われることが多かったが、正確にわかる人は誰もいなかった。

ジェイムズはどう返事したかを覚えていない。ただ、強い決意ができた。「大学に行ったら思い切り楽しもうと決心した。おそらく卒業まで生きることはできないから」

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最終更新:1/2(月) 14:05
BuzzFeed Japan