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「この世から消えてしまいたい」から「生きたい」へ AIDSと診断された女性を変えた出会い

1/3(火) 12:05配信

BuzzFeed Japan

20年前、革命的な新薬がHIV/AIDS治療の転換点となり、死の淵から生還した人たちがいる。 第二の人生を生きるとはどういうことなのか。3人に聞いた。第1章、第2章に続く、全3章の第3章。
【Patrick Strudwick / BuzzFeed Japan News】

【写真】80年代。アメリカのエイズ危機をとらえた26枚

1996年9月、35歳の女性が、ロンドン東部のニューアム総合病院を訪れた。体はひどくやせて衰弱し、死の淵をさまよっていた。

女性の名前はウィニ・サニュー・スルーマ。

医師たちは、彼女の素性と病院にやって来た理由を質問し、検査を行った。そして、検査結果に驚いた。健康な人の場合、免疫系のCD4数は500~1600だ。しかし、サニュー・スルーマのCD4数は1しかなかった。この状況で何かの感染症になれば、命を落とすことになるだろう。医師たちはさらに質問を続けた。今までどこにいたのか、どうしてこのような状況になったのか、英国の在留資格はあるのか、といった質問だ。

サニュー・スルーマは質問に答え始めた。医師たちは病院にもう一度来るよう懇願した。入院させて、病状を監視し、新薬を投与するためだ。しかし、サニュー・スルーマは関心を示さなかった。すでに死ぬ覚悟はできていた。

それから20年。サニュー・スルーマはロンドン、ウォルサムストーで自宅のリビングルームに座っている。大きく開いた目に何度も涙を浮かべ、当時を振り返っている。低く穏やかなその声は、スモーキーという言葉がぴったりだ。廊下の壁には、モノクロの絵画が飾られている。1990年代に撮影されたサニュー・スルーマの顔写真を正確に再現した素描だ。病院を訪れたとき、どれだけやせていたのだろう。この絵からは想像できない。

サニュー・スルーマは1961年、イングランドのシェフィールドで生まれた。しかし、2歳のとき、両親の祖国ウガンダに戻ることになった。当時は7人家族だったが、今は4人しか残されていない。

19歳のとき、奨学金を得て、米国のカンザス大学に入学。1988年、インターンシップのため、東部のメリーランド州に引っ越した。そこで健康診断を受けると、HIV検査を含む精密検査が必要だと言われた。

「陽性という検査結果を伝えられたとき、HIVが陽性(ポジティブ)ということは問題ないのだろうと思った。陽性は良い、陰性は悪いという言葉だと思っていた」とサニュー・スルーマは振り返る。「ところが医師は、『HIV陽性というのは、ウイルスに感染しているという意味だ。まだ治療法も薬もない。あとどれくらい生きられるかもわからない』と言った。椅子にきちんと腰掛け、まるで関心がないような態度だった。私はぼうぜんとするしかなかった」

その瞬間、サニュー・スルーマの人生は劇的に変化した。そして彼女は、このことは誰にも言わないと固く誓った。

「当時、(HIVに関する)ニュースは厳しい言葉であふれていた」とサニュー・スルーマは話す。「ウガンダでは、HIVは広く知られていた。村中の全員が死んでしまうような病気だ。(米国では)女性の感染者は知らなかったし、何よりHIVには悪いイメージがある。だから、『黙っていよう』と心に誓った」。自分の病気についてきちんと理解し、どれだけ時間が残されているかを知ったのは、しばらく後になってからだという。

「道を歩いているときに倒れ、あっさり死ぬのだと思っていた。だから、いつ死んでもおかしくないと思いながら生きていた。友人と過ごしているときも、この人たちと会うのはこれで最後かもしれないと考えていた。道を歩いていても放心状態で、よく人にぶつかった。自分は死ぬかもしれない。死ぬとはどういうことだろう? そうした考えに支配されていた」

しかし、病院の対応は親切だった。「(ウガンダ人の)知り合いがいないときを選んで病院に行くと伝えた」。当時のウガンダでは、HIV感染者に近付くと、「魔術をかけられるとうわさされていた」。また、ウガンダではHIVの代わりに、スリム病というわかりやすい名前が使われていた。

「HIVに感染すると、体重が減り始める。誰もが知っていることだ。患者は、自らあるいは家族の意思でどこかに連れて行かれ、全く尊厳のない死を遂げる」。ウガンダでは1990年までに、大人のおよそ6人に1人がHIVに感染した。

サニュー・スルーマは病院にいるところをウガンダ人の知り合いに見られ、HIVに感染していることを家族に知られるのが怖かった。もしそうなれば、家族は崩壊してしまう。

1990年、兄弟の一人もHIVに感染していることが判明した。同じ年、母親ががんで死去した。1992年、HIVに感染していた兄弟が結核で命を落とした。翌1993年、今度は父親ががんで死去した。

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最終更新:1/3(火) 12:05
BuzzFeed Japan