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信濃国分寺の縁日で「蘇民将来符」参拝者ら買い求める

1/10(火) 20:00配信

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 民間信仰の「蘇民将来」護符(お守り)の頒布で全国に知られる長野県上田市の信濃国分寺で7日から2日間、八日堂縁日がありました。護符の蘇民将来符(そみんしょうらいふ)の頒布は全国にありますが、信濃国分寺は京都の八坂神社と並んで代表的とされ、地域の人々が長い間手作りしてきたのも特徴的です。

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500年以上の歴史

 八日堂縁日の蘇民将来符は、ドロヤナギの木を六角柱に削ったこけし型。6面に蘇民、将来、子孫、人也、大福、長者の文字が書かれ、家の除災と繁栄をもたらすとされます。八日堂縁日の蘇民将来符頒布は、国の選択無形民俗文化財に認定されています。

 信濃国分寺によると、八日堂縁日の蘇民将来符頒布は室町時代ごろから500年以上の伝統とされ、「蘇民講」と呼ばれる地元の農民組織が農閑期の仕事として制作してきました。形ができると寺に納め、住職らが文字や模様を描き込んで祈とう。縁日に授与しました。

「蘇民」信仰とは?

 8日の縁日では境内に多数の露店が並び、家族連れなどが小正月の雰囲気を楽しんでいました。蘇民将来符は大小さまざまで、8日には高さ10センチほどのものが多数用意されました。

 信濃国分寺の護符頒布の解説によると、護符の由来は、ほかで宿泊を断られた旅の人を蘇民将来という者が泊めて厚遇したところ、旅人が柳の木に「蘇民将来子孫人也」と書き、これを掲げ、携帯することで災いを避け繁栄することができた、との言い伝えです。

 この旅人は「薬師如来の化身である牛頭(ごず)天王」とする信濃国分寺は、この信仰が奈良時代から広まったとしています。同寺には室町時代の1480(文明12)年の「牛頭天王祭文」という蘇民将来のいわれを記した古写本が残っています。蘇民将来の細部については研究者や土地により諸説あります。

 信濃国分寺によると、同寺は奈良時代の創建とされ、その後10世紀ごろの戦乱で焼失。元の場所から300メートルほど北側の現在地に移転し鎌倉時代以降に復興。さらに戦国時代に兵火で一部が焼失したが、江戸時代に再建が進みました。

 正月の風物詩でもある八日堂縁日ですが、春に向けた同様の催しは、この時季各地で盛んです。全国で行われる「どんど焼き」は、信州では長野市などで行われ、同市戸隠では21日夜に戸隠スキー場中社ゲレンデで「戸隠どんど焼き祭り」も予定されています。

 松本地方ではこの時季、子供たちが正月の飾り物などを集めて焼く「三九郎」が各所で行われます。

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■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説

最終更新:1/10(火) 20:09
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